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第5章 ゆとりある郷土
第1節 都市集中と過疎化

第1項 都市化度
―分散居住―

(1) DID人口比率
(2) DID人口密度
(3) DID人口比率と密度の相関

 富山県民は富山平野に分散して居住し、ゆとりある空間を享受している。

 人口等の都市集中の実態を把握するため、国勢調査では、調査区を単位として人口集中地区(DID;Densely Inhabited District)を判定し、それに基づき人口等を集計している。ちなみにDIDは、人口密度4,000人/km2以上で5,000人以上が集まっている地域と定義されている。ただし、都市的利用地区を念頭においており、工場を始めとする各種施設用地があり人口密度が基準を下回る場合でも当地区に含まれている場合がある。DIDの人口密度の都道府県間比較ではこのことについて留意が必要である。

 都道府県の統計的な比較により、分散居住の状況を説明することは容易ではない。これは、各県が必ずしも富山県のようにほどよく一つにまとまっておらず、幾つかの圏域の複合体であることが多いこと、市町村の境界が人口集積の境界と必ずしも一致していないことなどから行政区域を単位としたマクロ的な統計だけでは把握し難いためである(富山県を幾つかの広域生活圏に分けて捉えることもできるが、基本的には1つの生活圏と考えられよう。)。さらに近年は市町村合併が進み、明確な核を1つ持つこととした基準(「町としての要件」(Web_Site『富山県例規集』))が崩れており、統計からの考察が一層困難になってきている。
 専門的に分析するのであればメッシュデータの活用も考えられるが、以下では国勢調査の都市的地域の定義であるDID(人口集中地区)を範囲とした統計を活用する。ただし、統計の経年変化の評価では、DIDが国勢調査の調査区を単位としており人口の動向によってその範囲に変化があることに留意が必要である。


(1) DID人口比率
 富山県の総人口のうち、DIDに住む人口の比率は、40.0%であり、これは全国では、11番目の低さである。
 全国でDID人口比率の高いのは、大都市圏、地方中枢都市(札幌、仙台、広島、福岡)所在道県及び沖縄であり、低いのは、島根、山梨、岩手、香川、徳島、佐賀と続く。多くの地域の比率については、地域毎の事情に相当通じていないと予想できない分布になっている。

 ちなみに、DID人口比率の低さによって、富山県内の各市は、地方自治法に規定する原則としての市の要件を充たしていない。



(2) DID人口密度
 また、富山県でのDIDの人口密度は、3,712人/km2で、全国でも3番目の低さである。
 全国の多くの地域と同様に、富山県でも県内人口の県庁所在都市に向かった都市集中が続いている。しかし、富山県では平野が大きく広がっていると同時に、個々の世帯が広い一戸建てを指向するため、都市での人口の集中度合いは極めて低いものとなっている。この結果、乗用車の保有率が高い車社会が形成され、これがさらに都市の密度を低くする原因となっている。



(3) DID人口比率と密度の相関
 DID人口比率とDID人口密度は、比較的高い相関があり、いわば都市化の進んだ地域ほど、高い密度で住んでいるといえる。
 こうした中で、富山県については、人口の都市に向かっての集中が進みながら、都市を形成していない、あるいは極めて低密度の都市を形成している状況にあるといえよう。
 さらに言えば、都市を解体させつつあるようにさえ見られる。



(統計データ)

 「ゆとりある居住環境」や「人口に比し数多い施設」、「自動車社会」など富山の特徴を示す多くの事象は、人々が富山平野に分散して住んでいることを根拠とすると説明しやすい。多くの富山県の解説書でもJRの駅毎に中小規模の都市が連なっていたとされている。また、散居村を例として富山県全体に都市が分散していることを述べることもある。

 富山平野は主として複合扇状地で形成されており、沖積平野は射水などの一部に限られている。沖積平野では浸水の被害を避けるため自ずと微高地に集まって住むこととなる。しかし、扇状地上では河川の氾濫の被害はあるとしても、都市的機能を別にすれば、集まって住む必然性はなく、自らの耕作する農地の隣に住むこととなったようだ。このことは、衛星写真で富山平野の様子を観察するとよく理解できる。また、富山市の周辺と金沢市・福井市の周辺との違いについても理解できる。

 我が国の経済発展、社会の近代化とともに、もともと広く平野に分散して居住していた人々が、都市に向かって集まったが、早くから鉄道の整備が進められた富山県では、これが日常生活の通勤・通学に利用され、人の居住地の集中は進まなかった。兼業農業が人を離さなかったことも大きい。
 人口が集中しなかったことについては、富山県では背後の山間地域が少なかったため、そこからの人口の移動が限られていたこともあげられよう。さらに、一方では、中心都市自身の都市形成力による吸引要因が弱かったこともあろう。

 他方、他県との相対的な比較は困難であり、証明も難しいのだが、都市への集積があってもその周辺部への滲み出しを許容してきたことなど、都市計画法、農業振興法の運用が適切でなかったこと、あるいは人々の財産権の自由を尊重して柔軟に運用されてきたことも人口の非集中の一因に挙げられるであろう。
 しかし、中心都市富山市への一極集中は漸次進んでおり、近年では都市がその周辺部に広がっている。

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(Jun.05,2022Rev./1996.Orig.)