コンビビアル富山
―富山創生私論―

はじめに

 「地方創生」の議論が盛んになされているが、これは何であろうか。多くの市町村が消滅していくという将来人口予測の公表が契機となっているようだが、人口の減少は1970年代の半ばから見えていた。また、各地域はそれぞれなりに地域創りを検討し実践してきている。それでは、今、改めて何をしようとしているのか。
 将来人口の公表とともに多くの市町村の行く末が再認識され、国への支援要請が高まった。これに対して国が計画を審査認定し補助金を出すと宣言すれば、各地域が計画を策定しようとするのは当然であろう。しかし、このようなことに国が改めて音頭を取るというのは、意味のある施策なのだろうか。補助金獲得を念頭に置くような計画では、方向を誤るのではなかろうか。

 はじめに、今後の富山創生について、地域の歴史を若干振り返って、地域の課題について私なりの考えを述べておく。

 中沖前知事が県政を担い始めたのは1980年であった。私が富山県職員となり富山県の勉強を始めたのは、その直前の1979年である。
 我が国は、1970年代の石油危機を切り抜け、1980年頃はジャパン・アズ・ナンバーワンと評価されていた。年率4%程度の着実な経済成長ばかりでなく、総中流と称された格差の少ない豊かな社会を実現していた。
 この頃、富山県はジニ係数で見る限り日本の中でも格差が最も少なく、多少強引だが、富山県は世界の中でも格差の少ない豊かな社会を実現しているとも言えた。経済企画庁が試算する都道府県別の豊かさ指標などでも、富山県は豊かて住みやすい地域と評価されていた。

 富山県が、豊かさ指標でいい位置にあったのは、地場で生まれ育った企業に支えられた雇用の場があったこと、核家族化の進行が相対的に緩やかで皆が支え合って生きていたこと、都市への人口集中が相対的に緩慢でゆとりのある居住空間を享受できたことなどにより、結果として足腰の強い生活となっていることがあげられた。ただし、我が国全体の経済社会の変化の中で、富山県の状況も次第に変化しつつあり、富山県なりの道を見出していく必要があった。特に、既に将来の人口減少が見通されており、これを踏まえた生き方、地域創りが求められていた。

 現在、富山県でも未婚率の上昇、合計特殊出生率の低下なども進み、世帯規模は急速に縮小してきている。生活保護率が全国の中でも最も低いなど、富山県の豊かさのかつての特性は今日でも見られるが、状況は大きく変わってきており、今後の人口の減少、高齢化の中で、人々の生活が極めて脆弱になってきている。
 経済活動の一層のグローバル化、中国を始めとする東アジア、東南アジア等の発展途上国の離陸の中で、製造業等の雇用の維持が厳しくなり、雇用の非正規化等が進んでいる。これは我が国経済が離陸する周辺諸国にキャッチアップされることに対応した社会経済構造の変革がなされてきていないことを意味する。ただし富山県では地場企業の努力により非正規雇用は相対的に少ないものに留まっている。
 また、県内でも都市に向かった人口集中が進んでいるが、実際には、団塊ジュニア世代の住宅需要期の1990年代を中心として、郊外の非線引き都市計画地域の非用途地域(主として農業振興地域で農用地区域も多い)に小規模団地が陸続と整備され、自動車社会を形成してきた。道路、下水道、さらには新幹線等の基盤施設の整備が営々と進められ、人口の減少、高齢化などを踏まえた、新たな社会経済構築への意識的な努力は、ごく最近まで顧みられなかった。

 こうした中で、富山県なりに人々が安定した生活を送っていくことができる強い社会を形成していくことがまさしく富山創生の課題であろう。

 先取りして、ここで、富山創生についての私なりの考え方の骨子を述べておく。
 基本的には、人々がともにワイワイと楽しむ共愉(コンビビアリティ)の社会を求めたい。
 これまで個々の世帯内にあった多様な支え合いの機能は各世帯で持ち続けられることを今後とも期待したい。 しかし、孤立する人が増えており、何らかの世帯を超えた支え合いが求められている。このため、各自が地域社会でボランタリィな繋がりを積極的に形成し、支え合っていくことが必要であろう。いわゆる社会的関係資本の充実である。富山県民はこのような活動に苦手なようにも見られるが、NPOの結成など次第に動きつつある。優れた住宅資産を人と人が繋がりあう場として有効に活用していくことなどもあり得よう。
 所得の確保については、地域で生まれ育った企業へ期待し続ける必要があろう。地場の多様な企業が連携しあいいわゆる産業クラスターの形成を地域なりに目論んでいく。また、少子高齢化社会の中で県民に財サービスを提供する地域密着型の産業の展開が期待される。
 各種社会基盤施設の整備については、今後の人口減少をしっかりと捉え、それなりにまとまったコンパクトな都市として整備していく必要がある。国からの補助金等を受け入れるとしても、それに縛られず地域なりの判断をしていくことが重要であろう。

 以下では、まず富山の豊かさの背景を確認し、次いで高度経済成長期後の富山の経緯を説明し、今後の地域創りについての私なりの考えを述べる。

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(Aug.14,2015)