共に生活する富山社会の創生T.地域づくりの方向@包括的目標 コンビビアルな生活 地方創生が話題となっているが、これは人口減少から地域社会が崩壊する危機に対抗しようとするものである。こうした模索であげられる、人口減少の抑制や経済の活性化は本当に目指すべきものであろうか。もちろん結婚し子供を産み育てることができる社会、安定した所得が得れる社会が必要なことはいうまでもない。 しかし、地球温暖化や人口の高齢化、財政的限界等々の課題に直面する中で、我々のこれまでの生き方を大きく変更し、新しい社会創造の先鞭を付けていくことが必要なのではなかろうか。特に、地球温暖化に鑑みれば、もはや我々は物的消費の拡大を求めることはできない。超高齢社会に向かう中で、社会の資源(所得)配分を大きく切り替え、持てるものを分け合っていく仕組みの構築が必要である。 このため、生活の原点に戻って、我々は何を求めたいのか考え直す必要がある。 いろいろな議論はあろうが、皆で分け隔てなくワイワイと楽しく生活していくことを目指すことを考えられないであろうか。これは、哲学者I.イリイチが「コンビビアルな社会」(共愉社会)と呼んでいるものである。物的生産の総量が変わらなくても、仮に人口が減少するのであれば、分け合うことが首尾よくできれば楽しい生活も可能である。 ちなみに、世界の中で超高齢社会の先鞭を付ける我々は、モデルとなる新しい地域社会構築の使命を持っているともいえる。 A戦略的手段 地域創りを戦略的に進めるには、その手段が多層的的であることを想定しつつ、可能なことから速やかに実践していく必要があろう。国の政策や市場経済の転換を待っていても容易に事態が好転していくわけではない。 我々の社会が市場経済化する以前は、家庭・地域社会による自給自足的な生活がなされ、生活に必要な様々な機能を家庭内で充足してきた。 しかし経済社会の近代化の中でその機能を次第に消費市場に求めるとともに、一方でそれに必要な所得を労働市場で得てきた。自給自足的体制から次第に離脱するとともに、それまでの家庭・地域社会の基盤は、次第に崩壊してきた。これは家庭の主体的選択であるばかりでなく、市場からの強要も合わさった共同作業であった。 さらに市場経済の展開に必要な共通的基盤施設の整備については政府が担うとともに、一方で家庭の様々な機能不全に対しても政府が支えるようになってきた。 しかし、資本主義市場の暴走や政府機能の財政的限界に対して、新たな体制の整備が模索されている。 ・家庭機能への期待 我々の生活の基礎には家庭があることは間違いない。そして個々人が主体的に活動するとともに、家庭内で互いに支え合って生きていくことが大切であろうし、そのための様々な環境の整備は欠かせない。 しかし、社会には多様な家庭があり、その全てに特定の家庭形態を強要することはできない。また、たまたま家庭で支え合う機能を持たない人を責めるものでもない。 このため、かつての家庭内にあったであろう諸機能を補う方策を検討していく必要がある。 ・地域社会の新たな確認 かつては地域社会の支え合いもそれなりにあった。しかし、町内会が戦争遂行のための末端組織となった経緯もあり、戦後は一旦否定され、次第に位置付けが曖昧なものとなってきている。 地域社会の縛りからの開放は求められようが、同時に、自発的な繋がりで支え合っていくことも求めらる。 地域の仲間でワイワイとやって生活していくことを望みたい。そこでは、意に反して排除される者がなく、皆が包摂される社会が求められる。 地域の方向性には、皆でせいぜい議論し(熟議し)、合意は得れなくても一定の共通認識を持って、各自がそれぞれの判断で行動していくこととなる。 縛りがなく主体的な参加、ボランタリィな活動で支えられる社会のイメージは脆弱だが、各自の行動のバランスの上で生活していけると素晴らしい。このような捉え方には、賛否があろうが、この可能性は、地域社会の構成員の力量にかかっている。 ・市場での行動規範 経済活動とは本来、他者に喜ばれる財サービスを生産提供することによって対価を受け取り、その収入で他者から財サービスを購入するといった循環で成り立つ。企業組織であれば、経営者がこの過程を管理し、雇用者の労働に適切な対価を支払っていく必要がある。 こうした過程には生産性の向上という課題があるが、収益の拡大のみを念頭において、生産する財サービスを欠陥のあるものとしたり、雇用者の処遇を不全なものにすることは避けなければならない。この際、法律に抵触する行為はもとより、非倫理的な行動は否定される。経済学・経営学では倫理への言及を拒否するようだが、学問はどうあれ、経済活動も人の行動であり、倫理的であることを返上できるわけでない。 地域にあっては、地域で生まれ育った企業の見識ある行動に期待したい。 ・政府の機能 経済活動の中で不適切な行動が起きる場合には政府が必要な規制をすることとなる。これには再配分の調整も含まれる。社会が全体として良好に機能しないことについての規制、調整が政府の役割である。 どのような状況が良好でないかの判断は難しく、特に現在の縦割り行政、地域エゴ・組織エゴをぶつけ合う立法では、国全体としての望ましいあり方が必ずしも追及されていないように思われる。例えば、過剰な公共事業等はこの典型であろう。勿論、過剰ではないと強弁し、かつ半ばそう信じている関係者も多い。 地域では国家政府と異なる判断もあり得るが、財政の流れからいって、国の政策の枠から逃れることは極めて難しい。疑問を呈すること自体が極めて危ういことともなっている。 こうした中で、地域は、見識を持ちつつ、地域にとっての最終的な利益を勘案して、行動していかざるを得ない。地域のエゴを出し合い、国からのそれなりの資金を引き出し整備する施設基盤は輝いているだろうが、モアイ像の恐れがあることを承知しておかなければならない。 各社会組織の在り方には、いろいろな議論があるが、各自が、各自なりに信じ、可能なことをやっていく他はない。 以下のシナリオでは、多様な可能性の中で、ある程度は目に見え活動の契機があることを戦略的活動として述べてみたい。 まず、地域に少しは開かれた生活を心がけ、人との繋がりを創り、それを積み上げていくこと(ソーシャルキャピタル(関係的社会資本)の蓄積)であり、これを契機としたコミュニティシップの浸透である。 また、こうした繋がりを契機として、地域なりにお金が回る仕掛(コミュニティビジネス)を立ち上げていく。同時に地域として所得を得る産業群も互いの繋がりの中から充実していく。一定のテーマで多様な業種が繋がり合う産業群、広義の産業クラスターの形成である。 さらに、繋がりを創り維持していく契機となる物理的な場(交流空間)の整備も大切である。地域で集まり触れ合える場、買い物やサービスを含め生活に必要なことを満たしてくれる場を整備し、地域社会をまとめていく。こうした生活空間はコンパクトシティの形成につながる。 U.絆のある生活 ソーシャルキャピタルの積上げ @創造的な活動 既に述べたように、地域づくりの目標は、そこに住む人達がいきいきと生活できる場を創ることである。 211.生活文化の創造 我々が楽しみ喜びを感じる活動として、研究・学習、芸術・スポーツ、趣味・娯楽、コミュニティ・ボランティア活動など生活文化の創造を上げることができよう。現に各自がそれぞれの思いで様々な活動を行っており、今後とも様々に展開されていくことが期待される。 かつて1970年頃、高度経済成長の終わりの段階に至って、わが国では、自由時間の余暇活動としてそのあり方がいろいろと議論された。しかし、生活文化の創造は、決して余った暇の時間の活動ではない。これらは、人生の目標としても捉えられ、近年では、ワークライフバランスとして、積極的な位置付けがなされつつあるが、ライフワークバランスと逆転させるくらいの発想があっていいい。 212.生活力の形成 手段としての学びも大切である。 人生初期の学校教育については、教育への参加の保障が必要である。能力と意欲のある誰もがしっかりとした教育を受けれるよう、地域なりの奨学金制度の充実、このための寄付制度など工夫されていく必要があろう。また、初等・中等教育については、学校の教職員に任せ切りにするのでなく、住民も主体的に参加していく必要があろう。しかし、富山県では、コミュニティスクール制度の採り入れはいまだ一校もない。 人生中途の職業能力形成のための再学習制度の充実も必要である。OECDでは、1973年既にリカレント教育についての提言している。時間をとって新たな分野を学ぼうとする人には、地域の大学等が対応する必要があろう。これは人口減少の中で地域の大学等が生き延びていく道ともなるはずである。また、就業のための職業能力の形成支援については、地域の企業と連携して展開し、終了後の就職をある程度は担保する仕掛けが必要であろう。このためには主体を地方労働局に委ねるのでなく、県が調整役を担っていく必要がある。他方、学習中の所得保障等の工夫も欠かせない。 A絆の積上げ 家族規模が縮小し、さらに単身者も増える中で、新たな絆を形成していくことは地域社会にとって重要な課題である。困窮者・孤立者を支援すると殊更言わなくても、人と人の繋がりがあることによって、自ずと支えあうこととなっていくであろう。というより、困窮者・孤立者が生まれることを防いでくれるであろう。 221.地域に開かれた生活 開く、繰り返す、集う 我々は地域社会での生活の仕方を変えていく必要がある。生活文化の創造を社会に開かれた形で行っていくことがその出発点となろう。他者と共に活動すること自体が喜びとなるであろうし、人と人のさらなる繋がり(ソーシャルキャピタル)を形成していく契機となろう。 もちろん、既にいろいろな人により、いろいろな活動が行われており、日々のニュースとして報道もされている。こうした活動の地域社会にとっての意味合いを認識することが肝要であろう。 222.日常生活の共同化(インフォーマルセクターの強化) 縁を創る さらに日常生活での様々な不都合を政府や市場でなく、家族を超えたコミュニティでの支えあいで解決していくことも考えられる。 現在多様な共有化(シェア)あるいは共同化が進んでいる。 まず居場所(住宅)の共同利用(シェアハウス)が期待されよう。富山県では、生活空間の不足というより、広い住宅等の効果的利用が期待できる。 日常の居場所の共同化も可能性がある。 車、その他耐久消費財の共有化もあり得よう。 さらに様々な共有化を契機として、生活の部分的共同化も展開できよう。例えば、日常の居場所を設けることができよう。また、食事の共同化などもあろう。 223.ボランタリィセクタの充実 繋がる仕組みを創る 富山県には旧来からのコミュニティ組織がしっかり残っていると考えられる。例えば、老人クラブの組織率は他地域に比較して格段に高い。また、公民館の数も極めて多い。町内会によって、地域の清掃などもしっかりと行われているようである。これは、それなりに評価していいが、一面では、地域での生活の縛りがあるとも受け取れる。 これに対して、各自が自発的な(ボランタリィな)発想から組織(アソシェーション)を形成し、地域を支えていくことは苦手なようである。NPOの法人化制度制定後の法人の設立は他地域に比してかなり少なかった。その後、行政が旗を振り、法人設立を促したことによって、現在では全国平均並みとなっている。 地域を支える活動は、制度化されたもの、されてないものを含めて様々なものが既にある。例えば、町内会等の自治組織、行政の地区センター、社会福祉協議会、PTA、各種文化・スポーツサークル等々。これらを一つの地域を支える仕掛けとして描き、イメージアップし、活性化していくことが必要であろう。 特に、団塊の世代が退職し、時間的ゆとりのある高齢者が増えているが、これらの人たちが、それぞれの思いで様々な活動をすれば、地域社会を大きく変えていく可能性があろう。 B生活社会の取戻し 231.持続可能な生活形成 節度のある生活 持続可能な地域社会の生活の形成には、まず個々人の生活姿勢が問われているのではなかろうか。 一層の高齢化が進む中で、個々人が健康に生き続け、健康寿命が伸びていくることが極めて大切である。これによって、介護等の支援の需要もかなり削減することが可能となる。現在、各自なりの健康維持のための食生活・運動・衛生管理等の行動に加えて、人と繋がり活動を続けることが、健康寿命の大きな要点となりつつある。高齢者なりに地域社会の役割を担うことも健康寿命を延ばすこととなる。 他方、富山県の家庭での消費生活については、自動車の利用でガソリン、暖房で灯油、住宅管理で電力の消費がかなり大きい。この面で温暖化ガス排出削減には、多大な努力が必要である。 232.コミュニティシップの浸透 地域で、共に楽しくやっていくための行動を起こしていこうとする気持ちをH.ミンツバーグはコミュニティシップと呼んでいる。強制されるのでなく、自らの思いで、いろいろな場面で社会的な事業・運動事業を展開していく。 地域である程度の人たちが、コミュニティシップを新しい社会のイメージとして共有し、生きていくようになると、住みやすい地域に大きく変わっていくだろう。 ・孤立の解消 これまでの生活を多少は外に開き、声を交わし、知り合いを広めていく。これが、地域の人の孤立を防ぎ、皆を包んでいくこととなろう。 ・快活な生活 また、快活に生きることにより、健康を始めとする様々な困難に陥ることを防ぐことも期待できよう。 さらに多様な創造的な生活を展開していくこととなる。 現実社会のイメージからかなり遠いかもしれないが、日々のマスコミ報道等に触れると、それなりにやっている人も増えてきているとみられる。特に、現時点では、介護保険制度の改定により、地域の社会福祉協議会等が大きく動き出している。コミュニティシップは、既存の制度を代替するためではないが、これを契機に広まっていけばいい。 V.活躍する地場企業 繋がりあう産業活動 @卓越する地場企業 富山県では地域で生まれ育った数多くの企業が地域の産業をしっかりと支えている。金融・電力の二大企業、機械、アルミサッシ、医薬品、プラスチック等々の製造業、住宅・その他の建設業といったモノづくり産業に加えて、情報等の多様なサービス業、食料品スーパーや共同店舗を展開する小売業など多様な業種が活動している。そして、地場の企業は、地域社会が見え、働く人を手段としてでなく目的として捉え、尊厳ある雇用を実現している。この結果、非正規雇用は相対的に少なく、女のM字カーブの窪みも浅いものとなっている。このような、各自が成長していける安定した雇用の下で、人々にとって価値のある財サービスの生産を続けていくことが期待されよう。もちろん外部からの企業誘致も大切であり、地域に根付いて事業展開している企業も多い。 これらの企業の経営者は、企業の事業活動をリードするばかりでなく、地域社会の諸活動についても大きな役割を果たしリードしている。 A産業クラスターの形成 経済活動の一層のグローバル化が進む中で、地域社会の経済活動が生き残っていくためには、単に個々の企業がその生産効率を限界まで引き上げるだけでは、限界に行き着き疲弊するのみである。 地域に根差す企業がアウトソーシング(外注)により連携しあい、特定の分野において、世界の中で一定の役割を担うことこそ今日の産業戦略となろう。これはM.ポーターが世界の元気な都市の調査から産業クラスターとして見出したものである。これは製造業ばかりでなく、販売、サービス、学術研究、その他多様な事業活動が集積するものである。 例えば富山県には、医薬品とそれに関連した、容器・梱包・製薬機械・印刷等々の産業が集積しており、医薬関連産業クラスターの形成がなされている。これに関連して、健康・医療分野のサービスを展開していけば、広く健康関連産業クラスター形成の可能性もあろう。 あるいは、アルミサッシメーカーやハウスビルダーを核として住宅関連産業クラスタ形成の可能性も考えられる。住宅関連産業は人口減少の中で厳しい局面にあるが、新しい住生活を積極的に提唱し事業を展開していくことができよう。 なお、産業クラスターの形成は、誰かがリードするといようり、ある程度の共通認識の下で、個々の事業者がそれぞれに努力し、結果としてできていくものであろう。 かつて経済産業省や文部科学省がそれぞれ特定の分野の先端技術開発を核とした産業クラスタープロジェクトを展開したが、必ずしも成功していない。ちなみに1988年に富山県庁内の若手グループが「産業コンプレックス」構想として同様のことを提唱しているが、この時点では、国の支援等もなくイメージアップすることができなかった。 B地域密着型事業の充実 また、各種物販、サービスも地域社会での生活を支える事業として重要であり、同時に地域で所得が循環する役割も果たす。 小売商業については、かつて地域の意欲のある事業者が集まり共同店舗を形成しそれなりの成果を上げてきた。現在、全国ベースのチェーン店がかなり進出しているが、地域企業は地域企業なりにきめ細かく生活者の需要を捉え、優れた活動をしていく可能性を持つ。 福祉事業等にあっても節度を持って効果的な展開をしていくことが可能であるとともに、期待されている。 このような地域密着型の事業は、地域の多様な人の多様な就業を支える産業ともなりえる。特に、元気な高齢者がいつまでも働き続けることを支えてくれる可能性も大きい。 なお、これまで行政支援に頼りがちであった建設業や農業には、自律した産業活動を期待したい。建設業については、高度成長経済終焉後に海外進出などの方向転換の道があったのだが、公共事業等により方向を変えず事業を継続してきた。農業は、兼業農業が多くなる中で、事業的経営をする者に委ねていく必要があったのだが、それなりの保護により、生産性の低い事業を展開してきた。 W.まとまった生活空間 コンパクトシティの形成 @居住区の整備充実 411.交流空間を核とした居住区の整備 地域社会の基盤施設の整備として、現時点で最も大切なことは、子供も若者も高齢者もそして多くの大人も繋がり合い安心して生活できる空間を整備していくことであろう。歩いて行ける圏域で日常生活を可能にし、地域で子供を育て、高齢者等を見守り、皆が楽しんで生きていくことができる居住区が整備された地域社会こそ生き残っていくことができよう。 具体的には、多様な目的で皆が集まり利用し、絆を形成していくことができる核施設を整備することが考えられる。現在、いろいろな施策がバラバラに展開され、個別的に施設も整備されているが、地域なりにまとめていきたい。また、高齢者等の生活にも対応できるコンビニエンスストアも求められる。これは、既存事業者が検討し展開し始めており、連携していくことが考えられよう。相談事に応じる機能も求められる。既存の行政の地区センターの機能であるが、さらに多様な相談に総合的に対応すると同時に、必要に応じ手を差し伸べていくことも求められる。これは社会福祉協議会等が果たしている機能である。 住宅については、お互いに交わること想定すれば、住宅は戸建てあるいは低層共同住宅に留められることが望ましいであろう。都心部の中高層住宅では、絆のある地域社会を形成していくことは困難ではなかろうか。 いずれにしろ、既存の街の諸施設を効果的に活用し、早期に好事例を創り、それに倣って広がっていくシナリオが想定されよう。これによって、地域全体のイメージも活性化し、未来社会に生き続けることができるのではなかろうか。 412.空き家等の効果的活用 全国でも富山県でも空き家率が高まり続けている。これは、国全体の施策として、持ち家を奨励し、さらに建設を支援してきているためである。さらに、建築・不動産・金融等の関連事業者が、住宅の新築を選好し、中古住宅の流通を顧みなかったためである。 しかし、住宅戸数が過剰となり、リフォーム需要が拡大していることと合わさって、さらに中古住宅の評価も制度も充実し、今後は、多くの関係者が中古流通市場に参入し、業界の事業内容が大きく変化していくであろう。また、関連した諸制度も変更されていくであろう。 こうした中で、既存住宅の有効活用は、単なる住み替えだけでなく、多様な形のシェアあるいは、地域の住民が共同して使う場としての活用など、いろいろな可能性がある。 空き家の管理や節度ある土地利用など関連制度の地域なりの運用にも配慮していく必要がある。 こうした活動は住宅関連産業クラスタの形成にも貢献していくであろう。 413.交通網の再整備 交通網の整備について、富山県道路は都道府県の中でももっともよく整備されており、さらに急速に延長を伸ばしている。しかし、今後の人口減少とに高齢者の自動車離れとも重なり、交通需要が急速に減少することが予想される。このため、既存の道路計画を早急に再考していく必要がある。国からの補助金等がある制度のもとでは困難も多いが、地域なりの見識を出していかざるをえない。 基本的には、自動車を利用しなくても公共交通で生活できることが、子供・高齢者はもとより全ての人にとって欠かせない。長期的に良好な居住地域としていくためには、使い勝手のいい公共交通の整備が必要であり、既存街路にLRTを整備することもあり得よう。さらに、既存の県内を結ぶ鉄道と都市内の路面電車の相互接続を進めることも検討の価値があるのではなかろうか。 しかし、LRT拡充の条件は、かなり厳しく、むしろこれによって、地域が選別されていく可能性もあろう。 A基盤施設整備の方向転換 1970年代初めの石油危機を経験して、ヨーロッパの幾つかの国では、経済成長の基調が変わったとして、GDPに対する公共投資の比率(Ig/GDP)を低下させた。しかし、わが国では、基盤施設の整備を遅れて行ってきたのでまだまだ不足しているとして、高い水準の投資を続けた。1980年代の前半には一旦は縮小させ始めたが、内需を中心とした景気浮揚策をとのアメリカからの要請に応え再び拡大させ、結果としてバブル経済を導いた。1990年代の初めにはそれが崩壊し、経済は長期の低迷に入った。その後、景気浮揚として公共事業の拡大を試みてもいるが、現時点では、財政的限界からその規模はピーク時の半分以下となっている。 現在は、国土強靭化として、公共投資の再拡大を主張する向きもある。しかし、むしろ高度経済成長終焉以降にその適正化に対応してきていないのであって、今後の人口減少などに鑑みれば、基盤施設整備の方向を大きく転換していくべきことは間違いない。ちなみに、1980年前後には、将来の人口減少が明確になり、富山県の県政総合計画策定の過程でもダム等の公共投資の計画変更の必要性を認識していたが、関連事業者等も多いということなどから対応を怠ってきていた。 国の補助制度等の下では、地域なりの判断を実行していくことは極めて難しいのだが、各種の基盤施設の中で地域なりに優先順位を検討し、取捨選択していく見識が必要となっている。道路整備、治山治水事業、下水道整備、農村整備等々それぞれが課題を抱えている。 例えば、国が直轄して事業を行う、国道8号常願寺川神通川間高架化や利賀ダム建設などは、その是非について透明な議論が必要であろう。また下水道については県全体として整備の最盛期を超えているが、汚水処理方法の選択には疑問が残ったままである。 また、地域エゴを超え、コストベネフィットの低い事業の推進は求めないことも必要であろう。東海北陸自動車道の複線化要請なども判断が厳しいところである。国を超えた視点からは、新湊大橋や環水公園などはモアイ像と重なって見えるのではなかろうか。 B節度ある土地利用 431.既存市街地宅地の有効活用 富山県のDID人口の比率はかなり低く、またDID自体の人口密度も極めて低くさらに低下し続けている。これは、土地利用制度に違反しないまでも制度を柔軟に運用し、郊外の農地をかなり積極的に小規模住宅団地として宅地化してきたためである。 1968年に都市計画法が制定されたのは高度経済成長時代に大都市圏に流入した人たちが世帯を持ち住宅を建設し始めた際に住宅地のスプロールが問題となったためであった。法律は全国一律に適用されたが、その他の地域では、自動車社会化の中でかえってスプロールを助長してきている。また、新たな住宅団地を整備して一斉に入居すると住民の年齢階層が揃い、一斉に高齢化が進み、居住環境の崩壊に至る危険性が高い。地域社会を維持していくためには、多様な人が一緒に支え合って住んでいくことが必要であることは間違いない。 このため、土地利用制度運用の厳格化により、新たな農転等を厳しく抑制していく必要があろう。土地利用凍結条例の議論などがあってもいいと思われるが、このような個人の所有権に抵触する施策展開には、同意は得難い。 いずれにしろ、人口の減少を十二分に考慮し、土地利用のあるべき姿を県民全体の共通認識としていく必要があろう。 432.農地転用の抑制 土地利用のけじめ、特に農地転用の抑制については、食糧の安全保障の面からも重要な課題である。富山県では1990年代に農地の宅地化が著しく進んだが、現在も年々100ha程度の転用が進んでいる。 TPPの交渉が進んでおり、食料輸入の拡大が要請されているが、実は相手国には輸出の義務が課されない制度であって、今後の異常気象の頻発などの中では、極めて危険な制度となる。 このため、食料自給率を高めておくと同時に、非常時に対応できる仕掛けを作っておく必要があり、このためには、まず農地の保全が大切であることは間違いない。 過去の土地利用制度の運用を見ると県を含めた関係者に転用抑制の姿勢がほとんどない。ちなみに県の土地利用計画では転用実績を大きく上回る転用目標を掲げていた。農業委員会の制度の改変を含め、議論を起こし方向づけをしていくことが重要であろう。 はじめに 表紙 (Jun.25,2016Rev.) |