豊かな富山の形成

 かつて高度経済成長の時代にあっては、社会の豊かさとして専ら所得の大きさを評価していた。しかし、1960年代末に公害問題が社会の大きな課題となり、所得統計だけでは、社会の真の豊かさが示されないとして、新たな指標が求められた。こうした時代を背景に、経済企画庁国民生活局では、国民生活の質の向上を測る統計として、国民生活指標を検討した。具体的には、各種の社会経済統計の都道府県毎の値を領域分けし、各統計値を正規化してその平均値を求めている。
 国民生活指標では、北陸の三県は豊かな県として評価されてきた。近年では、法政大学坂本光司教授のグループによる『「幸せ度」ランキング』など類似した試みでも北陸三県が高く評価されている。

富山県での豊かさ形成の経緯
 富山県の豊かさの特徴には、富山県なりの地理的、歴史的背景を持った構造がある。1970年代末から私が富山県について学び始めた際に、この豊かな富山県が築かれた経緯を次のよう整理した。

@ 恵まれた自然
 富山県の地形は、三方を急峻な山岳に囲まれ、北側の富山湾に向かって開かれた、自然の舞台を形成している。
 山岳部は傾斜が急で、人も居住せず結果として豊かな自然が残っている。また、高い山岳により、冬期には日本海側からの季節風が多量の降雪をもたらし、豊富な水を提供している。
 これにより平野部では、多くの河川による複合扇状地が発達し、コンパクトにまとまった舞台となっている。
 なお、このような地形の構成のため、過疎となりがちな中山間地は限られている。

A 卓越する稲作と工業
 富山平野は、古くから水と戦いながら 稲作が営まれてきた。北前船、薬業で蓄積された江戸時代からの資本により、明治期には、各種の社会基盤の整備が進められた。特に、伏木での築港と工業用地整備、発電事業などを基礎に工場誘致の努力がなされた。また鉄道の各駅毎に紡績工場の誘致が行われた。さらに富山港と運河の建設もあり、富山県では、戦前、既に一大工業集積地が形成されていた。
 戦後は、軍需産業の民需化の中で多くの地場企業が誕生し、一方で、新産業都市建設など積極的な工業振興事業も重ねられ、工業が卓越する地域を形成してきた。他方、 農業では各種の改良事業が展開され、工場等の働く場の存在により、水稲栽培の兼業農家が卓越することとなった。

B 分散した居住
 コンパクトにまとまった富山県の舞台は、富山市を中心として概ね県下一円が通勤圏内である。職場にも恵まれ、農家が多かったこととも併せて、人々は、生まれ育った地域に住み続ける傾向が強く、社会移動が極めて少ない。この結果、富山平野全体に分散して人々が居住し続け、大きな都市が形成されず、鉄道の駅毎に中小都市が形成された。
 このため各種の利用施設は、各都市・各集落毎に整備され、人口当たりでは極めて数の多いものとなっている。逆に、まとまった人口を背景とした優れた都市施設は整備されず、また匿名性の高い大都市の魅力などを形成することには限界があった。一方、分散型居住の利便性を確保するため、全国でも有数の自動車社会を形成してきた。また住宅は持ち家で広いものとなっている。

C 大きな家族
 人口の社会移動が少なく、生まれ育った地域に住み続けたことは、核家族化の進行を抑え規模の大きい家族、多世代同居を維持し続けることともなった。これにより、家族が助け合って足腰の強い生活を形成してきている。家計も家族が補い合うことによって、世帯当たりの所得水準はかなり高く、 外食など多様なサービス提供を世帯の外に求める程度が少なく全国平均とは異なった様相を呈している。一方、地域社会での繋がりも強く、各種の地縁組織もよく残っている。

 富山県の豊かさが形成されてきた経緯は、1980年代当初には、このように捉えられた。こうした様相は、各都道府県間を相対的に比較する限りは現時点でも通用するであろう。製造業の集積により経済的拡大はあったが、都市化、核家族化などが緩やかに進んできたことで、過密の弊害は避け、周回遅れのトップランナーになっていたとも言えよう。
 ただ我が国全体の経済社会の変化の趨勢の中で、富山県を取り巻く環境は大きく変わりつつあり、そのまま進んでいけば、他県の後塵を拝すだけとなると見られた。このため1980年代当初では富山県なりの豊かさを意識して富山県なりの県づくりが必要と考えられた。いわば周回遅れのトップランナーが新たな道へ先行して入っていくというシナリオである。
 卓越する製造業をどう維持・発展させていくか。稲作兼業からどう新しい農業経営を築いていくか。ゆとりある居住空間を活かしつつ、自動車社会での富山県なりの都市集積をどう図っていくか。富山県なりの新たな家族像、地域社会像をどう描いていくか、課題は多かった。
 さらに、新知事の下での「富山県民総合計画」の策定過程では、人口が112万で頭打ちとなり、以降減少していくことが見通された。このため、「富山県民総合計画」の策定過程では、人口の頭打ちから減少への変化、高齢化については、事前的に十二分に対応していくべきとされた。特に、各種基盤整備については、将来的に過剰に陥らないよう事前的調整が欠かせないと認識された。


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(Aug.14,2015)