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第2章 富山の舞台
第2節 人口動態の転換

第1項 富山人の由来
―富山県人は弥生人系(下戸が多い)―

 縄文人度合い

 近年、日本人の由来の研究が急速に進んでいる。かつては、縄文人と弥生人の渡来の二重構造説が主体であったが、これを基礎としつつも次第に複雑な構造、場合によっては三重構造とも言えるものも浮かんできている。
 こうした状況の中で、北海道、沖縄を除く都府県毎に、現在の人の由来の傾向を見ると、東北地方は縄文の度合いが濃く、本州中央部に位置する福井から紀伊半島に抜け四国に繋がる一帯は縄文の度合いが薄くなっているようだ。
 そして富山県については、この中央部に隣接し、縄文の度合いが薄めの地域となっている。これは弥生人の度合いがある程度高いとみることもできよう。


アセトアルデヒド脱水素酵素関連遺伝子遺伝子比較

 右の図は、アルコールの分解過程にかかわるアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)に関連する遺伝子で酒に強い体質を形成する型(NN型)を持つ人の割合について都道府県の順位を付けたものである。ちなみに秋田県の1%から三重県の40%までの幅があり、同じ日本人でも比較的大きな差異がある。
 この遺伝子型について、全ての縄文人(モンゴロイド原人)はNN型を保有していたが、弥生人(モンゴロイド新人)の一部に保有しない者(ND型あるいはDD型)がおり、都道府県での分布は、その子孫の分布を反映しているとされる。つまり、元々縄文人がいた日本列島に、関西・中部地方を中心に弥生人が入り込んだことを表しているとされる。
 なお、この分布は、人口当たりの酒類小売販売量(エタノール換算量)と強い相関があるが、消費者と居住人口とに差異がある都府県で、相関関係が撹乱されているとのことである。

 このような視点から見ると、富山県人の生い立ちは、相対的に弥生人系で、下戸が多いということになる。

 ここで想像力を逞しくして経過を描けば次のとおりとなろう。
 まず、縄文人は、丘陵地が迫る海岸線を中心として住んでいたであろう。ここでは、海の幸・山の幸に恵まれていた。一方、大きく広がる沖積平野部は必ずしも豊かな地ではなく、また洪水に見舞われ危険な地でもあった。このため狩りや植物採取に入り込むことはあっても居住の地とはなりえなかった。
 こうした地に弥生人が到来し、沖積平野を豊かな稔りの地として活用していった。稲作は、蓄積も可能であり、次第に勢力を伸ばし、ついには縄文人を凌駕していった。


(統計データ)


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(Sep.25,2024Rev./Jan.15,2000)