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地方創生での人口ビジョン
―経済社会の転換の回避―

 かつて中沖県政の下での県民総合計画策定に際して、県の人口が112万人台で頭打ちとなり、その後減少していくという人口推計を行った(1981年)。人口減少は県勢の発展にとって受け入れ難いであろう。しかし、計画の策定に当たっては、人口の趨勢を与件として捉え、むしろその人口に合わせた計画的県政の展開が重要と判断された。ただし、ダム建設の手仕舞い等が課題であったのだが、実際には対応できていない。

 '70年代半ば以降20世紀中の国(人口問題研究所)による人口推計は、現実の趨勢より出生率、死亡率ともに高く見積り続けてきた。結果として、高齢化比率の見通しを低く抑え、年金を始めとする多くの社会構造の改革を遅らせてきた。

 今般の地方創生での人口ビジョンについて、富山県は50年間で人口が60%までに減ると推計されるところをビジョンでは74%に留めるとしている。全国については、68%となるところを80%としている。
 ちなみに、石川県、福井県の推計、ビジョンはそれぞれ全国、富山県の変化とほぼ同じくなっている。




 各道府県の推計とビジョンについてもそれぞれ推計での人口減少に対してビジョンでは減少幅をかなり小さくしている。
 子供の養育、高齢者の支援を社会が行うこととし、行政が責任を持つ姿勢が明確となれば、景気回復の中で、合計特殊出生率がそれなりの回復することもあり得よう。しかし、現実の政策にこのような勢いはない。また、各地域は現在でもそれぞれなりに人口維持のための様々な施策を行っているはずであり、趨勢を変化させる追加的な施策が何かは明確でない。


 このような状況があるとしても、国が各地域の計画に基づいて支援すると宣言した場合、各地域にとってこの地域創生の施策から逃れることは容易でない。地域なりの見識を発揮すると国からの補助金が他に流れ自らの地域は相対的な停滞を余儀なくされる。

 それでは、なぜ人口に拘るのか。それは、地域の労働力、消費力の変化に影響し、人口の減少は、経済の縮小に直結するからであろう。
 しかし、現に生存している人々がそれなりに快活に生きることができればいいいのであって、人口が減少すれば、経済規模も縮小しても問題なしとは言えないのだろうか。
 経済の縮小は、負の乗数効果を伴い、人口減少に見合ったほどほどの縮小の図を描くことなどできないということであろうか。

 いずれにしろ、人口を経済を活性化するのための手段として捉えており、人々が快活な生活ができるように環境を整備していくことが政策の直接的な目標とはなっていないようだ。結婚し、子供を産み育てやすい社会の整備はそれ自体が目的のはずであるが、人口増加のための手段となっているようである。

 また、将来人口の誤った見積りは、計画的な施策の展開に多様な障害をもたらす。
 年々の公共投資の規模は、財政的限界から、既にかなり小さくなっているが、それでも新たな基盤施設の整備は営々と続けられている。多様な新たな基盤施設はそれが整備される地域にとってそれなりに輝いて見える。そして現在のような財政制度のもとでは、各地域は国に要望し続けざるを得ない。しかし、国全体で適切な取捨選択を行い、資金の流れを変えていくべことは間違いない。これは高度成長期が終焉した'70年代以来の課題である。
 このような発想をすると、新湊大橋、環水公園は、モアイ像と重なって見えてくる。

(統計データ)

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(Dec.28,2015)