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富山市富山地区の人口変動
―空洞化と再集中―

(1) 人口総数の推移
(2) 人口の年齢構成


(1) 人口総数の推移
 富山市富山地域(合併前の富山市の範囲)の人口(住民基本台帳記載総人口、各年9月末)は2000年の32万2676人をピークに減少し始めている。
 なお、2012年より外国人を住民基本台帳に掲載するようになり、不連続になっている。



 地区によって人口変動の様子は異なり、著しい増加を見せている地区もある。



【中心部(南東)】
 都心(地域の中心部)では、これまで人口が漸減し続けていたが、2000年代に入って、下げ止まり傾向が見られるようになっている。さらに増加に転じている地区もある。これは、比較的高層の共同住宅(マンション)の整備が意図的に進められているためである。
 ちなみにこの地区では、児童数の減少のため小学校の統合が行われている(五番町・星井町・清水町⇒中央小、総曲輪・八人町・安野屋⇒芝園小)。なお、富山市では小学校の校下毎に地区としてまとめられているが、これは変更されていない。


【中心部(北西)】
 都心西部にあっても、愛宕・安野屋等では2000年前後からマンション整備等の動きが見られ、人口は横這いとなっている。

 以上のような都心部での人口動態は、都市の空洞化にブレーキがかかりつつあると言えよう。

 都心部での住宅の高層化は、当然の動きとも考えられているが、今後どのような都市生活を形成していくかを勘案した場合、コミュニティの形成に配慮して、低層あるいは戸建てに留める発想も必要ではなかろうか。特に、富山の物理的空間ではこれが可能であろう。
 現実は、住宅・土地に関する諸制度、関係者の思惑もあり、安易な高層化に進んでいるように思われる。


【南部(西)】
 都心に繋がる地域の南部では、人口が急速に増加しており、2000年代に入って新しい小学校区(光陽)の設置もなされている。
 この地区では、新たな住宅地の整備が進めらてれいるが、新保では、市街化調整区域での整備も数多く見られる。


【南部(東)】
 南部でも都心から若干離れた、月岡等では、人口の減少が進んでいる。


【西部(中央)】
 神通川西側で都心近接の地区では、五福など人口の減少が見られる。なお2012年の人口増加は外国人の算入によるものであろう。


【西部(北)】
 神通川西側の海岸よりでは、人口減少基調にあるが、宅地造成のある毎に人口の回復を見せている。例えば、最近では市街化調整区域から市街化区域に敢えて転換して造成された倉垣のつばめ野の開発で人口の増加があった。しかし、一次的な増加に留まりそうで、既に2010年代に入って人口減少に転じている。


【西部(南)】
 神通川西側の山側では、都心に比較的近く、かつて増加基調にあった老田、古沢でも減少に転じている。


【北部】
 海岸に接する北部、特に岩瀬では密集した住宅地の整備もあり、人口は大幅に減少し続けている。
 若干、都心に近い、地区でも減少に転じている。LRTの敷設の効果が人口増加となって現れてはいない。


【東部】
 都心周辺東部では、人口の増加が著しく新庄の地区の分割もあったが、限界に来ている地区もある。


【水橋】
 常願寺川の東、特に海岸線の地区では、人口が大幅に減少し続けている。
 上条では、宅地造成があり、人口のまとまった増加が見れる。



(2) 人口の年齢構成

 各地区の人口の高齢化比率についてみると、上述のような人口の動向を背景として、都心及び海岸線で高齢化比率が著しく高くなっている。
 逆に都心に比較的近い周辺で人口の増加している地区では、高齢化比率は低くなっている。


 次に人口の年齢構成を詳しく見る。
 まず、旧富山市内全体の年齢構成については、団塊世代(60歳代後半)と団塊ジュニア世代(40歳代前半)にピークがあり、団塊ジュニア世代より若年の世代は年齢の低下とともに漸減している。なお、以下の各地区毎の記述はこの全市の構成と比較した相対的な違いである。
 富山市での人口増加は、周知のとおり、都心に隣接する地区で起こっており、その典型は新たに小学校が開設された光陽(西田地方、堀川、蜷川の一部を統合、2002年開校)や新庄(北新庄と新庄に分離、2010年開校)であろう。ここでは40歳代の壮中年層の分厚い集積がある。
 また、郊外の農地の中に新たな住宅団地が形成された地区として、上条(水橋上条新町)や倉垣(つばめ野)等がある。ここでは、人口の40歳前後のピークとともに10歳代の児童生徒層も多い。
 若い人が特に多い地区としては、古沢、五福が挙げられる。周知のとおり、ここには富山大学があり、県外から来た単身の学生等が多い。
 一方、人口減少地区の例として、まず都心の総曲輪等の各地区があげられる。ここでは児童の減少から小学校が統合(五番町・星井町・清水町⇒中央小、総曲輪・八人町・安野屋⇒芝園小)されている。しかし、人口の都心居住を進める施策とも相まってマンション等の建設もあり、高齢者とともに50歳代の中年層の居住も多い。
 海岸沿いの港がある岩瀬や水橋中部の地区では、歴史的に住居が密集しており、生活環境を向上させるためには人口を減らさざるを得ない。このため結果として、高齢者が残ることとなり、80歳代の後期高齢者の比率がかなり高い。
 その他の郊外の地区には、60歳代後半の団塊の世代の比率が際立って高い地区がある。特に、月岡では、かつて市や県によって住宅団地が整備されており、まさに団塊の世代が移り住んだのであろうが、必ずしも次世代に引き継がれず、その居住者の高齢化が課題になっている。




 以上のような地区毎の人口動向については、既存の住宅が十分に活用されず、農地の新たな宅地化によって、既存の宅地より安価な土地が提供されることが背景にある。コンパクトな都市創り及び農地の保全の必要性が認識されるのであれば、こうした宅地供給は、否定される必要があるが、財産権の保護の過剰な尊重がこれを困難にしている。

 また、今日、地区の生活環境を向上させていくためには、地域包括ケアの動きに見られるように、行政の施策や企業の提供するサービスばかりでな、住民自らが参画する地域づくりが不可欠となっている。そのあり方を検討する場合、それぞれの地域の居住者の構成が大切な要素となる。同じ富山市の中であっても年齢構成が大きく異なっており、それぞれの地区の居住者による、それぞれの地域づくりが問われている。

(統計データ)

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(May.23,2020Rev.)