行政とコミュニティ戦争中の町内会等が翼賛会となり戦争遂行に加担したとして戦後に否定されたことがあった。しかし、地域社会組織の弱体化に対する懸念は、行政府内でも1970年前後に既に現れており、国民生活審議会において、「コミュニティ」の言葉が現れ、ついで、自治省が、モデルコミュニティなどの施策の展開を図った。ただし、この時期の行政による「コミュニティ」の用法は、地域での自発的な責任論が念頭に置かれがちであった。 さらに、阪神淡路大震災を契機にNPOの制度化がなされ、行政の旗振りもあり、富山でもいろいろな組織が活動し始めている。 また、2000年代初めには。地域社会の繋がりの評価としてソーシャルキャピタルの議論がなされている。 さらに東日本大震災に際して絆が、東京オリンピックではボランティアが話題となっている。 行政の旗振りを拒否する必要はないが、ともすると人に同じ行動を求め、縛り上げる方向が頭をもたげており、地域社会の活動では十分に自覚しておく必要があろう。 関連項目に戻る (Feb.20,2020) |