宗教から科学へ宗教は現代の科学で置き換えることができるだろうか。無宗教の筆者が議論することには意味がないかもしれないが、人々が宗教に求めるものは、現代の科学がある程度の応えを出しているように思われる。 ◎存在まず、我々、生物、地球、宇宙の存在については、我々の宇宙がインフレションから始まっており、その後の物理的作用で、現在の存在が出来上がっている。偶然とされることも多いが、突き詰めればこれも量子力学の不確定性によるものとされる。もちろん分からないことも多いが、宇宙の誕生を受け入れれば、現在の存在は理解可能である。 ◎死人の死は、不安の第一に挙げられるものであろう。しかし、真核生物が性を獲得し、生物の代替わりが始まったことによって、生物の死がもたらされた。死ねば、意識は消え。体は分子に分解し消えていくのみである。このことに不思議な点はない。生が途切れることの不安、親しい人との別れなど納得できないであろうが受け入れざるを得ない。 ◎生の意味生の意味を問えば、個々人の生き様が社会の中に積み重なっていくだけと応えなければならない。承認欲求を満たしたければ、社会に善いものを積み上げる生活を送ることとなろう。ただし、この評価は各人なりにするものである。 ◎どう生きるべきかそれでは具体的にどう生きるべきか。これは、事前的に規定されているものではない。各自が人生に目覚めた時に何を望んでいるか。それを実現するように生きることとなる。そして、実際に生きている環境の中で、多様な齟齬をどう調整していくかが課題となる。 これについては、各自なりに正義について考え、それを実践していく必要がある。 結果として、これが社会に秩序をもたらすことともなる。 近年の宗教離れの中で、この正義の実践を顧みない人が増えているようだ。これはちゃぶ台返しの発想で、社会の秩序が崩壊してしまい、自分自身も生きていくことができなくなる。 ◎心の状況我々の心の在り様については、脳科学が進展する中で、かなり筋道が推測できるようになってきている。なお、心の話題に関しては、多様な状況の人がいることに留意が必要である。
筆者には、現代科学がかなり代替できるようになっていると思われる。 しかし、一般に現代科学による代替は、受け入れ納得されるものであろうか。 納得しないことは、生き方を自分で考えようとはせず他人から与えられることを望んでいるのではなかろうか。また、耐えがたい現実の理解について虚構を求めているのではなかろうか。 Jun.10,2025 目次に戻る |