多様な民主主義

 梅澤佑介著「民主主義を疑ってみる」ちくま新書2024年を読んだ。

 以下は、私なりに政治体制について勝手に整理したものである。
 間違いも多いと考えられ、引用はしないほうがいいだろう。


制度根拠事例・提唱弊害
民主主義全員参加
代表民主制の選挙
古代ギリシャ
アリストテレス
J.ルソー
A.トクヴィル
多数の専制
自由主義自由の尊重J.ロック
モンテスキュー
アダム・スミス
ベンサム
J.ミル
ハイエク
自由の横暴
新自由主義の虚構
リベラリズム制度的箍
憲法、財政
ワイマール憲法
F.フクヤマ
お任せ主義
ポピュリズム
独裁
共和主義哲人王思想
一般意思
プラトン
J.ルソー
I.カント
共和的発想の困難
エリート批判
社会主義福祉国家
自由主義的社会主義
K.マルクス
K.マンハイム
ボブハウス
全体主義
ミュニシパリズム
(地域主義)
目が届く政治
環境重視
主体的参加
バルセロナ
杉並区長
H.アーレント
参加への無関心
 広く民主主義と呼ばれている政治体制は、一般に望ましいものとして捉えられている。
 しかし民主主義と呼ばれるものには多様な体制があり、いろいろな考え方が重なり合ったものとなっている。そして、長期的な社会の変化の中で、人々の思い・行動も変化し、新たな対応が試行錯誤されている。

 これらを私なりに割り切って整理してみるが、各先人が純粋に割り切った特定の主張をしている訳でもない。また、以下は必ずしも時間的流れに沿っている訳でもない。

 以下に述べるような政治体制を敢えて合体させた政治姿勢をあらかじめ提示しておくと、「自らの目の届く範囲で環境を重視しつつ(地域主義)、共に和する発想を持ち(共和主義)、福祉社会を目指しつつ(社会主義)、自由が実現するよう(自由主義)、皆の信任を得て(民主主義)、制度的箍の下で(リベラリズム)政策を展開していく」ということになろうか。
 ちなみに政党名とは、こうした政治思想の下で何をより重視するかによって、民主、自由、立憲、共和、社会、環境(地域)などを組み合わせたものとなるのだろう。

@民主主義
 民主主義は、狭義には政治への全員参加を提唱するものであろう。
 一般には、直接民主主義(全員参加による議論)が困難で、代表制民主主義が取られる。
 このため、民主主義の要として、選挙制度を重視することが多い。

 かつてギリシャで徴兵制が取られた際、平等な権利が主張され、一定範囲の男子全員が政治に参加する体制が取られた。これが民主主義の始まりとされる。
 これは、王制や教会のもとで一旦忘れられる。
 近代になって、平民の政治参加が求められる中で、一部の貴族等のみの参加では、「一般意思は代表されえない」としてルソーが、皆が参加する制度を主張し、これが今日の民主主義の始まるとされている。さらに、トクヴィルがアメリカで首尾よく実践的されていることを紹介している。

 ただし、選挙を主体とした民主主義では、「多数派の専制」が起こり得る。

A自由主義
 多数派の専制に対して、個々人の自由を確保すべきことを明確にしたのは、ロックの「所有権」の理論付けであろう。これが自由主義の嚆矢とされる。その後、ヒュームの「暗黙の了解」としての理解やベンサムの功利主義などへと展開される。さらに、アダム・スミスなどにより経済分野の理屈へと繋がり、資本主義の発展をもたらしていく。

 ただし、いろいろな自由の暴走も避けられない面がある。

Bリベラルデモクラシー
 次いで上述の民主主義と自由主義を統合するのがリベラルデモクラシーであろう。具体的には、例えば政治に箍を嵌めることが必要とされ、憲法の制定等がなされる。これは立憲民主主義と称されるものであろう。また、予算の範囲内で政策を展開することも箍なのだが、日本では無視されている。

 そりなに安定した生活が実現してくると、ことさら政治を考ることをしないお任せ主義が広がってくる。ポピュリズムと呼ばれるものである。ワイマール憲法下でのシュミットの主張などはこれに乗じたものであろう。アメリカのトランプ前大統領の政治手法もこれに乗じたものである。

C共和主義
 こうした流れに対して、あるべき姿「共に和する姿」を念頭に政治を考えるべきとする共和主義の発想が生まれる。古くは、プラトンの哲人政治がこれであろう。ルソーの「一般意思」もあるべき姿(あってほしい姿)のイメージであろう。カントの自律の概念もこれと重なっている。

 日本の政治では、かつては官僚がその基礎を支えていた。しかし近年、官僚の発想と学識経験者を忌避する中で、方向性を失っているのではなかろうか。
 話はずれるが、かつて1994年の経済同友会の舞浜会議で経済界は雇用に責任を持つことを放棄し、結果として雇用の非正規化が進んだ。そして政府はこれを補完しようとしなかった。これらは経済社会の全体像を考えることを政財界が放棄しているものといえよう。2020年代の今日になって、政府・財界が協働して働く人の賃上げの必要性を唱えている。しかし、既に厳しい格差が生まれてしまっている。

D社会主義
 こうした厳しい格差に対して革命が起こると指摘したのは、マルクスである。社会主義の政治では計画が必要とされ独裁体制となり、国民の自由が失われている。他方、貧困の問題は、社会環境、所属階層が大きく影響し個人の責に帰せないことが、デユルケム、マンハイム等の社会学者により解明されている。そしてホブハウスにより国家による経済的自由の抑制が必要(自由主義的社会主義)とされ、これが福祉国家の理論的基礎となっている。計画と自由の重ね合わせについては、ハイエクなどにより否定されているが、ケインズのニューリベラリズムとして多くの資本主義経済に取り込まれている。

 資本主義経済社会は、20世紀第4四半期には、中国等を含めグローバル化が著しく進んだ。物的生産の拠点が発展途上国に移行し、同時に先進国での労働力の受入れ等が進み、国際社会、先進国国内での著しい格差が顕在化している。結果として世界全体の政治経済構造が極めて脆弱な様相を呈してきた。

E地域主義(ミュニシパリズム)
 こうしたグローバル化が進んだ経済社会、自然環境の危うさに対して、資本主義の論理から抜け出すのは大変であり、地域社会でこそ生活の基盤を確かなものとしていくべきという考えが広まりつつある。小さな地域社会における様々なケアの展開が求められるなど、市民が積極的に参加する領域を増やさなければならないとされている。
 アーレントは、多様な基礎的自治体の存在が必要としている。さらには、バルセロナなどでのフィアレスシティへの挑戦なども注目を浴びている。


 以上、様々な政治思想、政治体制を列挙したが、時代の流れとともに人々の考えも変化し、実際の政治社会では、これらの多様な政治思想が重ねられたものとなっている。
 我々個々人は、これらの思想の中での自分の立ち位置を念頭に置いて、政策の在り方について発言していくことが必要であろう。
 ちなみに現時点の日本で私なりに政治を展開するとすれば、「環境・福祉国家の形成を目指す立憲共和党」を標榜することになろうか?

 蛇足だが、こうした議論が意味を持つ前提として、社会を構成する各人の各人なりに正しく生きようとする姿勢が必要である。日本の政財界の現況は、極めてお粗末である。

Mar.13/2024Rev./Feb.23,2024Orig.

表紙に戻る