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NHK調査新旧比較
―豊かさを支えてきた県民意識の崩壊―

 1996年6月末の極めて古い調査であるが、富山について学び続けてきた中で最も衝撃を受けた調査結果であり、県民性を考える重要なヒントとなっているものであるので、ここに掲載しておく。
 調査結果は、富山県民の意識について通常のイメージと実態が異なる様相があり、さらに18年前の統計とも比較ですると、この間に富山県民の意識が大きく変化してきていると言えそうである。
 以下では、都道府県中での順位が比較できるよう整理されているものを一通り掲げたが、多くの項目で、順位が大きく低下していることがわかる。順位の低下が必ずしも悪くなったことを意味してはいないが、地域の状況が大きく変わりつつあることを示している。
 なお、抽出アンケート調査であり、偏りの虞もあるが、各都道府県内75カ所、それぞれ12人、計900名(全国42,300名)を標本としており、相当確度が高いと見ておく必要があろう。
 当分析の掲載については、NHK放送文化研究所の了解を得ているが、あまり詳細な統計等を載せると著作権に触れる虞があるので、詳しく知りたい向きは、「現代の県民気質」NHK出版を参考にしていただきたい。


 図は、1978年(昭和53年)から1996年(平成8年)への変化について、各質問事項について「そう思う」とした人の割合(左欄)及びその都道府県中の順位(右欄)を帯で示したものである。それぞれ変化の方向が異なるものについては異なる色で、変化のなかったものは楕円で位置を表示した。

家族・地縁社会
 家族・地縁社会に関する質問については、ほとんどの事項で大きく順位が下がっている。家族・地縁社会の繋がりを大切にする気持ちが弱くなっており、従来からの富山の強みであった、支えあって足腰の強い生活を実現していた基盤が大きく崩れてきているといえよう。



 

以下のグラフでは全国値を除き、1枚のグラフで表現しています。

心・道徳心
 家族・地縁社会の繋がりが緩くなる中で、束縛も解け、あるいはタガがはずれ、多様な側面で潔癖感が弱くなってきている。また、信仰心も弱くなってきているとみられる。これも富山の良さの一つを大きく崩すものであろう。
 ただし、不倫等を許すには、至っていない。


生活
 しきたりを尊重する気持ちも減っている。
 また、子供の教育にお金をかける意欲も減っている。


仕事
 仕事面では、人の優劣判断や学歴偏重を拒否する建前が大きく浸透している。男女差別については建前としての否定が幾分強くなっているが、実態としてやむを得ないと考える気持ちは相変わらず強い。
 一方、新しいことに積極的に取り組む気持ちが落ちている。また全国では競争社会での能力差を認識しつつあるが、富山では変化していない。これらについては、今後の経済社会活動の活性化に懸念がある。



地域と社会
 家族・地域社会を崩しながらも、一方で公共的に対応していく気構えも形成されておらず、社会福祉のための高負担を一層強く拒否している(経年比較はないがボランテイア活動の意向も相対的に弱い)。
 また、公共目的の権利の制限を許容する気持ちは全国でも低下しているが、富山県でも一層大きく低下している。
 よそ者(富山流には「旅の人」)という言葉が強く感じられるようになっているのは、マスコミ等でことさらあげつらってきているためであろう。


政治
 政治意識については、全国で「しらけ」が進んでいるが、富山では相対的に「しらけ」が進んでいないといえよう。


 以上のように富山県民は、旧来からの多様な束縛から逃れつつあり、意識構造が大きく変わってきている。政治意識は比較的あるが、社会全体を支えていく新たな構造の形成には関心が弱く、一方で積極な自立への指向もはっきりしない。
 このような変化は、従来からの富山の豊かさを支えてきた県民の意識が大きく揺らいできていると言えるのではなかろうか。

富山県民は頻度依存行動を取る傾向がある
―県民意識の大きな変化の解釈―

 地域社会の意識が上述のように極端に変化することがなぜ起こるのか。
 社会心理学には、「皆がするなら自分もする」という類の行動を指す「頻度依存行動」という概念がある。この行動は、定見を持たない行動のようだが、個々人の生存上有利な行動である。
 集団の中にこのような行動をとる人が多い場合、集団の置かれた環境条件のわずかな変化で、集団全体の行動、ひいては、その集団内の個々人が持つ意識(その行動を左右する表面的な考え方)が大きく変化する可能性がある。
 富山県民の大きな意識の変化もこのような過程が背景にあるのではないだろうか。別の言葉では、一種の「功利的意識」とも言えよう。このような意識は、必ずしも咎められるものではない。
 しかし、かつての戦争での最も大きな反省点は、一人ひとりが自らの考えを持ってしっかりと行動しなかったことにあったと思うのだが。こうした問題意識は風化したのだろうか。それとも50年たっても自立した個人を形成できないでいるということだろうか。
 参考文献;山岸俊男著「心でっかちな日本人」日本経済新聞社2002年


(統計データ)

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(Jun.03,2002Add./Feb.11,1998)