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生活保護を考える
―社会的支援の下での自律した個人―

【多様な要因の可能性】
 富山県の生活保護率の低さについては、社会移動の少ない狭い地域社会で、周囲の目を強く気にする性向があるかもしれない。あるいは、老人ホームへの措置など生活保護に至る以前の施策が補っていることも考えられる。さらには、ケースワーカーが受給の是非を厳しく判断している可能性があるかもしれない。
【今後の変化の可能性】
 家族地域社会に関する富山県民の意識が大きく変化したという調査があるが、今後、生活保護に関する姿勢はどのように変化していくのであろうか。周囲の目を気にすることがなくなれば、老人ホーム入所者数が最低水準から 全国水準に急速に推移したように、急速に拡大する可能性も否定できない。現状を既に危機とは言わないまでも、一つの転換点にあることは間違いないであろう。
【社会的支援の下での自律した個人】
 いずれにしろ、家族を形成し、次代を支える人を育てるとともに、場合によっては自らの家族の中でも支え合うという、各個人の生涯設計の中で自立した生き方を指向することは、積極的に評価されるべきことであろう。
 個人に擁護等の役割を負わせて行政が手を抜くといった批判の前に、自立するシステムを自ら形成していくことは、社会にとって欠かせない要素である。これがないと、今日のように次代を支える人を育てることが放棄されがちとなる。これには例えば、独身税(より厳密には、子育て回避税でありDINKSにも課税)による公平化という手段が必要なのかもしれない。
 富山なりの家族のあり方をしっかり考え、例えば、介護保険を補完し高齢者の在宅生活を促すなど、家族の自立を促す制度を充実していくことが必要ではなかろうか。
【自立の押付けの懸念】
 仮に「在宅介護充実指向」に家族の支えを求める発想が入るのであれば、「規制緩和指向」の考え方と矛盾する内容を孕んでいる。具体的には、前者はコミュニタリアンに同調する発想であり、後者はリバタリアンに同調する発想と考えられる。このことについて、一貫性を持った議論がなされているのであろうか。行政にあっては、とにかく財政負担の軽減が先にあって、思想的一貫性など無視されているのではなかろうか。



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(Nov.19,2013)