地球温暖化にどう立ち向かうか

 凡そ1万年前、人類は農耕を開始し、欲求を拡大し、人口も増やし始めた。これはいずれ限界にぶつかることは明かで、今、温暖化という限界にぶつかっている。ヒトは、この農耕を開始した時点で間違った道を歩み始めたともいえよう。
 この限界については、多くの科学者が指摘してきている。
 1798年には、トマス・ロバート・マルサスが「人口論」を著している。
 1861年には、ジョン・ティンダルが、二酸化炭素等が地球の気候を変化させる可能性を指摘している。
 1896年には、スヴァンテ・アレニウスが、二酸化炭素濃度が2倍になると気温が5〜6度上昇すると計算している。
 1972年には、ローマクラブの報告書「成長の限界-ローマ・クラブ人類の危機レポート 」が出版されている。
 1989年には、ジェームズ・ハンセンが、アメリカの議会での温暖化が進み始めていると証言している。
 この証言を受けて、1992年には、オデジャネイロで「環境と開発に関する国際連合会議」が開催され、「気候変動枠組条約」が採択されている。この条約の下で1995 年以降,ほぼ年に 1 度,締約国会議(COP)が開かれている。以降、京都議定書、パリ協定などと議論が重ねられている。
 しかし、温暖化ガスの排出削減は、捗っていない。
 既に異常気象が多発し始め、飢餓そして餓死に見舞われた地域もでている。今後、急速に一層厳しい状況に見舞われる可能性は十分あるだろう。

 温暖化ガスの排出による地球温暖化は、まさしく共有地の悲劇であり、こうして中で自分だけが進んで削減努力をする動機は弱い。
 日本のマスコミでも COPの議論についてしっかり対応しようという論調と、世界にはしっかり対応しようとしていない国もあり単純に議論に対応しようという主張はおかしいという論調が交差している。

 人類は、かつて凡そ7万年前に、トバ火山の噴火による寒冷化で、総人口が1万人程度までに減少したことがあったとみられる。人口のボトルネックと言われ、現在の人類の遺伝子の多様性が低いことからもこの可能性が支持されている。この時代に、狩猟採集民を養えるくらいに豊かな天然資源があった地域は,ほんの少数だったはずだ。そして生き延びたのは、例えば南アフリカの比較的暖かかった海岸線で魚介類を食料とできた小集団だったという説がある。
 我々も極めて限られた地域で、極めて限られた人口で、慎ましい生活をして生き延びていくほかはないのだろう。

 こうした時点で、地球温暖化に抗うより、むしろ、このような生活に少しでも円滑に移っていく道を探ることが得策ではなかろうか。
 このためには、人口減少はもとより、経済活動の縮小などを積極的に選択していく必要がある。
 そして自ら実践し、他の人からも信頼を得ていくことこそが、今後予想される厳しい争いを避ける方法となるのではなかろうか。

 現在の趨勢に反旗を翻し、行動を起こしていくことが必要である。
 かなり困難な選択だが、今後の地球環境の変化を危ぶみ、若い人達の1割でも声を上げれば、社会が変わっていく可能性があるのではなかろうか。

Dec.30,2024

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