闘争本能の否定
 ―新しい社会の構想―

 以下は、考え方が殆どまとまっていないが、取り敢えずのメモとして掲載しておく。
 山際寿一著「共感革命」河出新書2023年に触発されて、考えたものある。

 生物の進化過程で形成された我々の本能としては、生存のための生理的欲求と5感に感じる基礎的な快楽の追求の2種類が掲げられるのではなかろうか。俗に本能と称されるこれ以外のものは、生後の文化環境で形成された欲求ではなかろうか。闘争本能があるとしたら、それは文化環境の中でそのように指向するよう促されてできたものである。ただし、生まれつきの2つの本能についても、文化環境のなかで多様に変容していることに留意が必要である。
 そして、戦争の回避には闘争本能というような発想が起きない文化が必要である。
 ただし、人類は農耕の開始と同時に、いわゆる闘争本能の形成を許してしまったようだ。
 モラルファンデーションの一項目とされ保守派の中核にある「内集団への忠誠」などは非常に危うい道徳律である。所属集団の内と外を区別すると同時にいろいろな争いが生まれる。
 このため、戦争を回避するためには、我々の生き方・文化を基本的に変えなければならない。人類の争いの歴史を見るとこれは極めて困難であろう。

 しかし、あえて、新しい社会を夢想してみる。
 闘争をもたらさない社会構造、共感する場面が溢れる社会である。それは、行政の取り仕切りでできるものでなく、自発的形成が必要であろう。
 ただし、現実から飛躍した発想であり、実は、地球温暖化により一旦現在の社会が崩壊した後に、形成されることを期待している。いわば人類社会の出直しを考えた新しい社会である。自暴自棄ではあるが、こういう見方をすれば、地球温暖化を受け入れる気持ちも若干和らぐ。

 新しい社会の集団として次のような階層構造が考えられる。

@食糧を分け合い、ある程度食事も一緒にするような基礎的集団
 人口は、150人程度で、いわゆる個々人が互いに親密に知り合える上限とされる数(ダンパー数)である。
 さらに現在の家族程度の小さな集団が想定されるが、50家族に満たない集まりで、親密に交流する社会を想定したい。
 それは、開かれた家に住んで、開かれた生活を展開している。獲得できた食料もそれなりに分け隔てなく配分し、1日に1回は食事(昼食)を一緒にする。これについては新しい生活のイメージの描写が必要だが、今後考えを整理してみたい。
 個々人は、一応この基礎的集団に属するが、渡り歩くことも、皆が受け入れてくれる。

A多様なケアを互いにする集団
 人口は、1,500人程度で、現在の町内会に対応するようなコミュニティ集団である。
 集団がやるべきことの検討・活動(町内会活動)への参画は、強制とは感ず、当たり前と考える社会を描きたい。いわば一般意思を探ることができる直接民主主義の集団である。
 ここでは、人々の日々の交流が自然に行われ、必要なケアを相互に行い、地域の多様な課題を自らが解決していく。特に、次世代を育むため、多様な子どもが一緒に遊ぶ空間が大切である。

B多様な基礎的文化を共有する集団
 人口は、15,000人程度で、現在の校下(小学校区)に対応するような集団である。
 歩き回れる空間の中に、それなりの商店や基本的な診療所もあり、日常的な生活の必要を満たすことができる。
 大人も、各自なりのいろいろな目的を持って集う多様なイベントを企画し、繋がり合うアソシェーションとして、日常的な交流社会となっている。

C政治的に独立した集団
 人口は、150,000人程度、現在の小さめの市に対応するような集団で、基礎自治体を構成する。
 既成概念にとらわれず、必要な政策を展開していく集団であり、現在世界各地で生まれているフェアレスシティに類似したものを想定したい。
 自立し、ある程度の食糧自給も考えたい。

 以上の集団は、現時点の人口では、富山市の範囲が想定されるが、人口減少の中で将来的には、富山県の範囲を想定している。ちなみに海進で富山の面積は減少している可能性がある。そしてBの集団が共住するコンパクトな町が、富山平野に点在しているイメージとなる。また、都市以外は、自然と調和した農耕牧畜地が広がっている。

 このようなイメージを共有し、現在の社会が崩壊していく中で、新しい社会を次第に形成していく。

 このこうした社会の実現のためには、まず、早急に基盤施設整備の方向転換が必要である。
 そして、空き家等をうまく活用していろんな人の居場所を作っていくことを検討する。
 束縛感のない自由な交流空間を形成できるかが大事である。


 以上の内容には、生活の糧を取得する労働(経済構造)のイメージ、具体的な生活のイメージが伴う必要があるが、今後考えていきたい。

(Oct.30.2023Orig.)

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