不合理性

 社会の在り方を皆で考える場合、皆がそれぞれ正しく考えることが基本であろう。
真実に沿い、正義に叶う必要がある。

 このうち真実は一つだとしても、正義については人によっていろんな考え方があり多様である。
このため各自は自らの正義を明らかにして、一貫性を保つ必要がある。
そのうえで、皆で熟議することとなるが、これで方向が一つにまとまる保証があるわけではない。

 また、実際には、誰もが常に正しさを指向するとは限らない。
色々な物事の判断に際して、我々の脳は、正しい判断をしようといつも心掛けている訳ではない。むしろ与えられた環境と自らが蓄積している記憶から、安易に自らに都合のよい判断をする。
我々の判断は、「不合理性」に満ちていることを承知していなければならない。

 我々の知りうることの限界のトピックスとして、「不完全性(ゲーデル)」、「不確実性(ハイゼンベルク)」、「不可能性(アロー)」が挙げられるが、趣旨は多少違うが、「不合理性」も並べておきたい。ちなみに現時点の大規模言語モデル(チャットAI)もこのような不合理性を持っているのではなかろうか。

 なお、正しさを意に介さない人もいるが、各人が育つ中で道徳を身に付ける環境が用意される必要がある。
 また、人々がそれなりに正しさを実践していくためには、安定し安心して生活できる社会が要件となろう。
 さらに経済的利益のためには、法律に触れなければ、見つからなければ何をやっても構わないという発想が横行しているようにも見られるが、このような拝金教からどうすれば離脱できるのか、難しい課題である。



Oct.01,2023

表紙に戻る