物語をどう扱うか

 以下は、辻田真佐憲著『「戦前」の正体−愛国と神話の日本近現代史−』(講談社現代新書2023年5月)に触発されてまとめたメモです。

 社会を新たな方向に動かすためには、それなりの物語が必要です。明治維新では、幕府に代わるものとして皇室を持ち出し、この際、神話を援用しました。しかし、その後は神話にこじつけて、いろいろと危うい主張が展開されました。今日も、神話を持ち出す人がかなりいます。

 私自身は、皇室の存在そのものは否定しませんが、過去に遡った理屈付けは不要と考えています。社会の価値観が大きく変わってきていることを受け入れつつ、皇室の存在を前提として、今日なりの在り方を考えればいいのです。ウクライナ支援に際して、我が国は欧米と価値観を同じくしているという説明がありました。別に、同じ必要などなのですが、皇室のことなどを議論すると掌を返した発言をしている人も多いようです。

 意図的に物語が持ち出される際は、その意図が正当かどうかの判断が必要です。皆が物語の中にいると、この判断はかなり難しくなります。物語は、便宜的な虚構であることをしっかりと認識し続けることが重要でしょう。敢えて物語を持ち出すとしても、将来に向かった物語を語ることこそ重要でしょう。

 宗教も人の不安を取り除き社会を維持していくための物語だと思いますが、これをどう扱うかは、かなり難しい課題だと思います。仮にこれを否定すると、各自が道徳律を失い、それぞが自分なりの道徳律をかなり努力して探らないと、社会が崩壊していきます。今日の日本はこの状況に陥っており、多くの大企業までが、利益優先で、見つからなければいいと法律違反まで犯しています。

 こうした中で、学校での道徳教育の必要性が説かれますが、その内容を決めるのは、極めて困難で危うい行為となります。やはり、子供が育つそれぞれの環境の中で、自ずと育まれていく必要があり、社会の各人がそれぞれ心掛けることが求められます。

(Nov.13.2023Orig.)

表紙に戻る