情報時代の地域づくり地域づくりの方向をどう決めるか。以下は、かなり飛躍した説明になっているが、取り敢えずメモを作っておく。 大変乱暴な説明だが、社会を統治する方法として2つの対立する考え方がある。1つは、人間の自然状態は闘争状態にあり、各自の自然権をただ一人の主権者に委ねることを契約する必要があるとするホッブス流の考え方である。他の1つは、人々の一般意志というものがあり、それは常に正しく公の利益を目ざすものであり、これを見つけて服従すればよいとするルソー流の考え方である。 他方、地域社会の組織形態として、マッキーバーは、2つの類型を掲げている。1つは、自然的契機(血縁,地縁など)に基づいて成立する集団としてのコミュニティであり、他の1つは、いろいろな関心に基づいて成立する利害関係的集団としてのアソシエーションである(ただし、このコミュニティは今日の用法とはかなり齟齬がある)。 リベラリストと自任する人達は、一般に、社会の統治については一般意思を求め、社会組織としてはアソシェーションを選好し、これによって地域づくりを主張している。しかし、頭ごなしの学者然とした人(リテラシーのある人)の言説となっており、多くの人を議論に寄せ付けない。そして、皆が政治、地域づくりに参加しようとしなくなっている。 地域づくりの在り方に明確な方向があり得るかどうかはともかく、いろんな人が、いろんな活動をする中でそれなりの方向ができていく可能性を考えることはできないだろうか。 SNSの時代において、多様な話題について、それぞれに関心のある多様な人の交流がなされ、その中から方向が生まれてくることが考えられる。これは、リテラシーを求めるリベラルの発言ではなく、SNSを操る力(コンピテンシー)のあるいろんな人の発言と活動である。 こうした動きによって先の2種類の対立は止揚される可能性があろう。 さらに、その中での誰かの行動が模倣され広がっていくことが期待される。この際、物語(ナラティブ)が作られれば、それなりの運動となっていく。(例えば、空き家を利用してシェアハウスを実践し、そこで食事を一緒にする。この繋がりを広げていくと、地域の多様な繋がりへと発展していくといった話が考えられる。) 今後は、こうした実践により地域がつくられていくことも考えて見たい。 ただし、これにはポピュリズムに陥る可能性がかなりある。しかし、リテラシーのある人もそれなりに仲間に加わり発信していくことによって、頭ごなしではない何らかの方向修正を期待できよう。 Nov.09,2023 表紙に戻る |