コンヴィヴィアリティ

 イヴァン・イリイチ(渡辺京二・渡辺梨佐訳)『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部1989年を読み返した。私は、コンヴィヴィアリティを「共愉」と訳し生きる目標としてしばしば使ってきたが、安易には利用できない言葉であることに気づかされた。
 原書は1973年(ちょうど半世紀前)に著されたものであるが、既に産業主義の限界超えを指摘し、社会の崩壊が殆ど避けられないとしている。そして生きる社会を自分の手に取り戻す生き方としてコンヴィヴィアリティを提起している。ちなみに本訳書では「自立共生」と訳している。

 今日の産業社会の限界は日増しに明らかになってきていおり、それを乗り超えようとする発言も増えつつあるが、実際の社会は、うわべだけの対応で、本気に動こうとはしていない。一言でいえば人々は「カネ」に囚われてしまっている。この状況から抜け出すことは極めて困難で、人新世がもたらす気候変動で、早晩、人類社会の大崩壊が起こるであろう。
 そしてその崩壊後に少数の人々で生きる社会のありようがコンヴィヴィアリティとなるのだろう。
 つまり、コンヴィヴィアリティを目指すこと自体は間違っていないが、社会がそこに素直に向かっていくことはあり得ない。考えようによっては極めて重い、悩ましい言葉である。今後は、このような思いを込めて使っていかざるを得ない。そして自分なりに生き方を正していかざるを得ない。

 実は、本書の要約・解説をメモして置きたいのだが、かなり難解で、現時点では手に負えない。

May.12,2023

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