公共をどう捉えるか1.個人的生き方自分自身の生き方としては、一貫性を持って正しく生きることを考えたい。 この正しいとは、真実に基づくことと正義に沿うことである。 このうち正義については、カント、ロールズ流の義務論を念頭に置いている。 こうした前提で、皆と仲良く楽しく生きていくことを目指したい。 2.多様性を認める ただし、自らの生き方を絶対とするわけにはいかない。 H.アーレントが『全体主義の起源』で強調する「複数性(いろんな考え方をする人がいること)」を認識しておく必要がある。 各人各様の考え方の自由を排除すると全体主義に行き着きかねない。 また、このことから社会の諸問題の在り方について、必ずしもコンセンサスが形成されないことを承知しておく必要がある。 3.人と触れ合う活動 H.アーレントは『人間の条件』で、各人は公共世界と関わる「活動」が必要と指摘している。現在の社会の多くの人は、カネ(稼得)に囚われた労働が主で、公的生き方を配慮しないでいる。 各人の多様な生き方を認めながらも各人に活動を求めるのは矛盾するようだが、公共世界を配慮しないと、その人なりの整合性のある生き方が描けないこととなり、結果として「活動」が必要ということであろう。 4.政策に関する活動 政策の在り方については、公的空間を形成し、誰もが参加して議論を続ける必要がある。これは討議民主主義と呼ばれる。 ただし、コンセンサス形成の保障はなく、公的政策は常に妥協の産物となろう。 このため、政府の役割は限定的なものとするミニマリズムを指向したい。ただし今日、福祉国家は膨大な負担になっており、これから逃れることは困難である。 こうした状況の中で、権力の在り方は十分に配慮され、常に皆の下に置かれる必要がある。 5.政府外の活動 さらに、政府外の公共圏の役割を重視することも求められる。これはJ.ハーバーマスが指摘したことであろう。 これには多様な地域活動、NPO、その他が含まれる。 そうした多様な活動の中で、関係的社会資本を積み上げていくことが、皆に受け入れられ安定した社会を形成する基礎となる。これは、R.パットナムが指摘しているところであろう。 6.コミュニティの再検討 地域社会で共に生きるための手段として、包括的な組織として町内会などが必要と考えられる。 これは、人を拘束するのでなく、多様な活動を包含しつつ、効果的に運営されることが求められるが、容易ではない。 以上のようなことを規範として、多様な具体的課題を考え続け、行動していくこととしたい。 May.08,2023 表紙に戻る |