50年前の警告

警告
 今から約50年前(1970年代初頭)は、団塊の世代が社会に出た時期で、筆者もこの世代である。実は、この時期に、現在にも繋がる2つの大きな警告がでていた。1つは成長の限界であり、他の1つは出生率の低下である。


成長の限界
 『成長の限界』という報告書が、ローマクラブから出ている。これは、クラブの依頼を受けたメドゥズが作成したものである。コンピュータプログラムを使ったシミュレーションであり、人口の増加等から資源・食料の不足へ繋がるといった、ある意味では当たり前のシナリオである。
 一般には、マルサスの再来として、技師術的対応で解決されていくと考えられた。それなりの話題とはなったが、真摯な対応など議論されなかった。高度経済成長が続いている中で、筆者自身も成長の終焉など受け入れることはもとより、想像することもできなかった。

 その後、1973年には第一次石油危機があり、日本は一丸となった対応に成功し、ジャパン・アズナン・バーワンと呼ばれるまでになった。このため1985年には、プラザ合意によるアメリカからの注文で、内需主導の経済成長に転じ、結果としてバブル経済がもたらされた。そしてその崩壊後は、30年近く、新たな成長方策を見つけることができず、現在も経済再生を模索し続けている。この結果、国際社会の中でもかなり地位が低下してきている。

 こうした中で、1980年代末のアメリカでの干ばつを契機にしたアメリカの議会での証言で、多少勇み足との指摘もあったが、地球温暖化が実際に進んでいるとされた。そして1992年には環境会議がリオデジャネイロで開催され対応の必要性が確認された。北欧諸国は1990年代初めに既に炭素税を創設している。
 我が国では、バブル経済崩壊の中で、もっぱら景気回復のみが関心事であり、このような制度改革など殆ど想像できなかった。リオデジャネイロの会合には世界各国の首脳が集まったが、日本は国会開催中ということで首相は出席していない。

 今日では、地球温暖化が進み、経済成長自体への疑問も提示されている。国全体としては、表面的姿勢としては温暖化ガス排出削減に対応しようとしているが、実態としては殆ど動いていない。


人口減少
 他方、人口の変動については、1973年以降、合計特殊出生率の低下が進んでいる。
 この時期が石油危機と重なったため、当初政府は、出生率の低下は経済的要因であり、次第に元に戻ると主張し続けた。しかし、回復はせず低迷が続いている。

 当時、先進国で合計出生率が高かったのは他にはイスラエルのみであり、人口学ではむしろ日本で高い合計特殊出生率が続いていたことが疑問視されていた。政府の見通しは、バイアスの掛かったものであったことは明らかであった。例えば、かつての人口問題研究所(当時は厚生省の内部組織)の所長は退任後に日本大学の教授となり出生率は回復しないという掌を変えた推計を発表している。ちなみに、1980年代当初での富山県県政長期計画での人口推計では、人口の頭打ちから減少を予測し2010年の人口を千人単位で的中させている。もっとも誤差の相殺の結果ではあるが、かなりの減少は間違いのない事実であった。

 政府はかなりの期間、合計特殊出生率の回復を主張し続け人口推計も特段変更せず、人口を基礎とした諸政策の改革も怠ってきた。日本で人口変動が大きく問題にされ始めたのは、実際にほぼ人口減少が始まった21世紀に入ってからである。合計特殊出生率を回復させるためには、諸外国の例に鑑みれば、まず子育てを社会全体で行う体制の整備が前提と考えられるが、未だにこの体制はできていない。さらにこれでも回復する保証がないことは否めない。

 また、人口が減少していくことに沿った、社会保障制度、基盤施設の整備などの抜本的な改革は進められていない。富山県政の展開でも1980年代当初の県政計画で、基盤施設の整備を再検討すべきこと、具体的にはダムの整備の中止などを一旦は確認したが、その後の中沖県政、石井県政でも対応していない。多々ますます弁ずのポピュリズムに乗り続けているだけである。


逃げる団塊の世代
 長い目で見ると、日本は世界にモデルがある時代には一丸となって進むことができるが、モデルのない時代に自ら考えて進むのはかなり苦手なのではなかろうか。そして国際社会から相手にされなくなっていく可能性が高いと思われる。

 新たな社会の構築を50年間怠ってきたのは、団塊の世代のみの責任とは言わないが、かなり大きな責任を負ったまま後期高齢者に仲間入りし、さらに社会から抜け出そうとしている。


Jan.12,2023

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