選挙で託すのは財源内での政策展開

 選挙で多数を占めた政党は何をやってもいいという訳ではない。
 国民が選挙で為政者に国政を託す前提として、憲法の範囲内で政策を展開すべきことがよく指摘される。さらに財政収入の範囲内での政策展開も重要な前提であろう。これを守らないと整合性のある将来像を考えない好き勝手なポピュリズムに陥る。
 現在、我が国の政党はすべてこれに陥っている。そして国民もそれを許容しているようだ。現下の政治経済情勢では避けられないという理屈はあろうが、我が国の崩壊が一層早まるだけである。このような政治に陥ったのはこれまでの政策、政策議論の中で生じたものであって、国債依存から即時に脱却する必要がある。
 この際、経済活動の再興が懸念されるが、この必要性自体を慎重に検討する必要があるのではなかろうか。地球環境問題に鑑みれば、経済活動の鎮静化は避けられない。経済的格差拡大については、成長する経済の分け前によるトリクルダウンの期待は最早破綻しており、課税の拡大と予算の再配分で社会保障改革を実現していかなければならない。軍備増強の議論もあるが、国際平和のための広範な努力を抜きにして走りすぎており、かえって状況を危うくしている。
 かつて民主党の政権時に仕分け事業が行われた。これは通常の政策論議で達成できない困難を乗り切るための手法であった。結果として不評だったかもしれないが避けられない対応であろう。
 特に、人口減少時代の基盤施設整備の必要性を再考し、予算配分の大転換を実現していく必要がある。例えば、道路・鉄道の整備等をいつまで求め続けるのであろうか。我田引水の発想は止める必要がある。富山県政も自省すべき面が多々ある。

 現在の局面を打開していくには、国民一人一人の真摯な反省とともに、新たなリベラルな政党が必要なのかもしれない。残念ながら、これが多数派になるには時間を要するだろうが。

Jan.10,2023

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