宗教の形成と今日的意味「竹沢尚一郎著『ホモサピエンスの宗教史』中公選書2023年」を読んだ。著者なりの解釈による宗教の発生・展開の説明であるが、人類史と巧みに重ね、幾つもの宗教を横断的に捉えており、興味深い内容となっている。以下、私なりに再整理したものであり、今日の脱宗教化の時代でも生き方の物語が必要なのではなかろうか。 人類史上での最初の儀礼的は、家族等の狩猟採取で大きな収穫があった際に、喜びを分かち合い大騒ぎする祝祭であったのではなかろうか。 社会学者デュルケムもこれを指摘しているそうである。 こうした騒ぎは、人が言葉を得る前でもありうる行動であろう。 その後、集団が多少とも大きくなり、狩猟採取の安全・成功を祈りつつ、多数の動物がいる壁画などを描いた。自然と人との明確な分離がないアニミズム的発想の中で、宗教的興奮も伴っていたものであろう。 さらに、集団が大きくなると、共同体の維持のため、人の役割を区分する必要が生まれ、人生の成長の各段階での通過儀礼や葬送儀礼が行われるようになった。 これを引導するシャーマンの誕生もみられた。 この段階では、相当程度言葉か発達していたであろう。 その後、農耕や牧畜の開始とともに、季節の流れの中での豊穣を祈る祭礼あるいは忌避する行動等がいろいろと生まれた。 また、儀礼の祭司役としての首長が生まれた。 日本の天皇の当初の役割もこれに当たるであろう。 その後集団が拡大し、国家が形成され、国家間の争いが起こるようになると、戦勝への儀礼が始まる。 こうした中で首長が軍隊を取り仕切るようになると集団の王が生まれる。そして、その王を称える多様な祭祀も増えていく。 エジプト等の古代国家の宗教はこうしたものであっただろう。 その後、鉄器の普及などによって戦法が変化し、一対一の争いでなく、統一集団での戦いが始まると、その規律を保つとともに、個々人の差のない扱いが求められることとなる。このため、倫理的生活を求める神(物語)が生まれ、個々人が神のもとで自らを律する契機となる。 エジプトやメソポタミア等の古代国家周辺に生まれたギリシャ等の都市国家の宗教、あるいは哲学はこうした性格を持ったものであろう。 さらに、特定の集団に災難があった際には、自らに非があったとの宗教的解釈を求め、結果として、部族集団の神、一神教が生まれることとなった。 ユダヤ教は、こうした環境の中で生まれたのであろう。 さらに、こうした宗教の中で規律が乱れ、さらに多様な格差が大きくなると、誰もを包摂する世界宗教が求められる。 これが、キリスト教、仏教といった世界宗教であろう。 こうした宗教も国家に取り込まれ、紆余曲折が起こる。 ローマ帝国のカソリックの経緯などはこの典型であろう。 そうした中での規律の乱れに対して、宗教改革の動きが起こる。 時代は遡るがイスラム教も宗教改革とする見方もあろう。 そして、神の下ではあるが、物事の正しさを求める中で、近代の科学革命と資本主義社会の形成が進むこととなる。 イスラム教の正しさを求める姿勢はギリシャの科学を大切にしおり、カソリックのもとでの科学の停滞とは異なっていた。 こうした流れの中で、逆説的ではあるが、脱宗教化が進んでいるのが現在であろう。 しかし、宗教発生時にあったような共同体の維持のための行動規範は必要である。 各自がこれを考え抜いてそれぞれの正義を実践することも考えられるが、やはりこのための物語が求められるのではなかろうか。 そして一定の共同体の中でしかるべき道徳律が育まれていくことが必要であろう。 しかし、これを地域社会の拘束として忌避する発想もある。 このバランスのとり方が難しく、各自なりにその生き方を考えていかざるを得ない。 (Dec.17.2023Orig.) 表紙に戻る |