宗教の系譜と今日的解釈古市憲寿著『謎とき世界の宗教・神話』講談社現代新書2023年」が発刊された。私自身、この分野についてもあまり知識がなく、丁寧に読んでもおらず、かなり誤りがあるだろうが、現時点の私なりの宗教についての理解をまとめておく。なお、私は、基本的には、宗教・神話とは人が創った物語(虚構)であると捉えていることを予め伝えておく。 ゲルマン、ギリシャ、北欧(エッダ)、インド民俗信仰(マハーバーラタ)、アーリア人の信仰等々、世界各地にそれぞれの神話がある。これらには、トーテミズム、国造り神話など、結構似た内容のものがある。これには、代々の伝承、他地域への伝播、人としての類似した心理状況、類似した災害等への遭遇などいろいろな要因があるとされている。 神話は、もともとは口承であった。そして、残っているものはある時期に文字化されたものである。このため神話を解読するには、何時、誰が、何の目的で残したかが重要である。例えば、日本では神話の淵源となる古事記・日本書紀・風土記等のとりまとめの背景に留意が必要である。 これらの神話・信仰が体系化され規範化されたものが宗教であろう。 以下、いいかげんであるが、この系譜をたどってみる。 位置付けは曖昧であるが、アーリア人もそれなりに古くからの多神教的信仰を持っていたであろう。 アーリア人が寒冷化を契機として移動したイラン付近で、ゾロアスター教が生まれ、暖を取る火を大切にすることから拝火教となったらしい。これは、ササン朝ペルシャで世界最初の国教となっている。 ユダヤ人は、バビロン捕囚を契機として選民思想を持つユダヤ教を形成し、旧約聖書にまとめられた。宗教的系譜としてはゾロアスター教の最後の審判や一神教的側面を受け継いでいる。 さらに広く民族を包括するものとして キリスト教が誕生し「新約聖書」にまとめられた。これは、ローマ帝国の国教とされ、その教皇は皇帝と並立されることとなった。 その後、キリスト教は、ローマ帝国の分裂によりカトリックと東方正教に分かれた。 このカトリックの免罪符等の堕落に対してプロテスタントが生まれた。 また、東方正教の中では、ロシア正教が優位となっていく。ロシアでは、皇帝と宗教が重なり、人々はその支配者に任せる発想を持つようになっているらしい。これがウクライナ侵攻下でのロシア人の心情ということだろう。 他方、一神教の流れの中で、真の神の預言としてイスラム教が生まれ、唯一の経典として「コーラン」が書かれた。イスラム教のグループには流れに沿って法学者が解釈する現実主義的対応が多いが、原理主義的姿勢を取るグループもある。 時代は遡るが、アーリア人のインド移住を契機にバラモン教が創造された。バラモン教はヴェーダを聖典とするが、まとまった宗教というより、カースト制等を含んだ社会の体制と捉えた方がいいようだ。 このバラモン教がインドの民俗信仰により変形を受けヒンドゥ教が生まれたということだ。 さらに、ヒンドゥ教に対抗して、ジャイナ教、仏教などが生まれている。仏教はもともとは、宗教というより、自己啓発としての修行として捉えた方がいいようだ。 この修行の側面を伝えているのがタイ等に伝わっている上座部仏教であろう。 仏教が中国等に伝わり如来信仰が始まっている。これは、大乗仏教と称されているが、当初の仏教とは全く異なるものであろう。この如来信仰が日本に入って浄土宗・浄土真宗として展開し、さらに禅宗などが生まれた。 他方、中国自体では戦国時代の諸子百家として儒家等があった。儒教には神こそいないが、天を信仰しており、やはり宗教であろう。そして、時代を下って朱子学が生まれている。これが国を治める学として日本にも伝播した。 一方、日本独自のものとしては神道があるが、教義の体系化等は試みられていないといえよう。 このような世界的な流れはともかくとして、近世に至ってプロテスタントに近いところから啓蒙思想が発生し、ものごとの科学的解明が深化してきた。そして、今日の宇宙科学、進化論で我々の存在がかなり明らかなってきた。宇宙の誕生後、原子が生まれ、地球の形成とともに生物が発生・進化した。我々一人ひとりは、一定期間生物として生き続けてDNAを引き継いでいく存在である。 この存在に事前的な目的やあるべき姿などない。 このように存在が解明されたからと言って、我々のいろろな喜怒哀楽がなくなる訳でない。やはり頼りとなるものが必要であろう。また、社会の中で生きていく規範をどう捉えるか。各自が正義論を突き詰める努力をするのか。やはり誰かにたよらざるを得ないのではないだろうか。 啓蒙主義的な発想での理詰めの生き方としては、喜怒哀楽を真っ向から受け止め、自分なりに正義を追求していくこととなるのだろう。こいう姿勢をある程度とれるようになることが、現代流の悟りであろうか。しかし、これはかなり困難な所業であり、結局は、宗教の信仰(虚構を持つこと)は避けられないのだろう。 このように我々の存在がかなり解明されたために、かえって極めて生きづらいことになっているのではなかろうか。かといって、創られた物語に寄り添うことにも躊躇する。 (Dec.03.2023Orig.) 表紙に戻る |