如何に生きるべきか(課題編)
   ――暫定的メモ――


1.地球温暖化

@社会崩壊必須の状況
 地球上の歴史で気候が不安定期に入る際には、若干の兆候があった後に急激な変化が見られた。現在、気温の上昇が著しくなっており、早晩、高温化が一層厳しくなるのではなかろうか。
 これによって、多様な災害が起こることは確実である。暴風雨災害は一層厳しくなるとともに頻度も増す。また海進で海岸線にある居住地の大量消滅もあり得よう。これらの災害によって農業生産に大打撃があり、日本では輸入することもできず、飢餓が現実に起こる可能性も大きい。

A温暖化の経緯
 約50年前の1970年代初頭に「成長の限界」がローマクラブの報告として出された。この内容を率直に捉えれば、いずれ多様な経済活動の拡大を停止すべきこととなる。しかし、高度経済成長の最中にあって、成長の手仕舞いを考えるなどできないと思われた。、少なくとも私自身はそう考えた。
 その後、1980年代末のアメリカでの干ばつを契機に、地球温暖化が進捗していると科学者の証言があった。当時は、勇み足という見方もあったが、勇み足せざるを得ない事象だという認識もあった。
 この証言を受けて、1992年リオデジャネイロに世界各国のトップが集まり、地球環境会議が開催された。ここで、地球温暖化防止のために、温暖化ガスの排出を削減していくべきことが確認された。
 ちなみに北欧諸国が即座に炭素税を導入するなど、各国は多様な対応を始めている。
 他方、我が国の首相は、リオデジャネイロ会議には国会の都合で出席していない。また、その後の景気低迷の中で、温暖化ガス削減には、極めて消極的に対応してきた。京都議定書の策定などの役割も担ったが、世界のNPOなどからは、真摯に対応していこうとする姿勢が見られないと非難されている。
 現在、2020年代に入って、地球温暖化が一層進み、気象災害が一層厳しいものとなってきていることは明らかである。

B削減必要量
 地球温暖化ガス(CO2)の排出は、どれくらいならば許容されるのか。本当は、社会の崩壊を避けるためには、最早排出してはいけない状況にある。しかし、ここでは、この事実は脇に置いて、排出許容量について考えてみる。
 世界各人一人当たりの温暖化ガス排出許容量(排出権)という発想を持つと、I.カントやJ.ロールズの正義論に鑑みれば、基本は各人等量とせざるを得ないであろう。その上で、これまで大量に排出してきた先進国は、一層少なく、あるいはゼロ、さらにはマイナスにしなければならない。
 ちなみに2018年の世界の人口一人当たりCO2相当排出量は4.4tであり、日本はその約倍の8.7tであった。

C経済活動の沈静化は不可欠
 対策の基本は、我々の様々な活動の鎮静化であり、即座にこれを共通認識として確認する必要がある。  景気浮揚策に拘った発想もあるが、一つひとつの策は、かなり逆方向となっている。
 例えば、観光振興などはその典型であろう。また自動車関連産業も縮小を覚悟しなければならない。
 個人の消費についても、自分だけが大量の温暖化ガスを排出することは許されない。このため、飛行機や車の利用も極力抑制するあるいは禁止することも考えなければならないのではなかろうか。こうした、事柄の意識を高めるために、例えば富山県であれば、春先の立山の除雪を止めることを宣言するような勢いが欲しい。
 いずれにしろ諸活動の鎮静化を前提として、様々な資源を分け合う新たな社会を構想し、創っていく必要がある。

 一定以上の所得は消費に回すことができないという意味で、累進的に100%近い所得税を課す必要もあろう。 ちなみに資本主義経済の初期におけるJ.ロック所有権の議論はその元となる資源に余裕があることを条件としており、この前提は破綻している。
 さらに、人口の減少こそ効果的な対応でもある。

 現在、我が国では、大企業でも法律無視して利益を上げることに必死になっている。
 ダボス会議でグレタさんの発言にアメリカ政府の高官が大人になればわかると否定していたが、これはいわば、拝金教である。宗教の否定は信じる人の人生の否定するもので避けるべきであろうが、安定した社会の形成に著しい障害を与えるものは否定せざるを得ない。

D変化への対応
 取り敢えず、現時点で可能な努力は当然していかなければならないが、開き直って受け入れる準備も必要であろう。例えば飢餓にどう対応するか。

 小生は、団塊の世代で後期高齢者となったところである。残り10年くらいで人生を終えれば、こうした混乱はある程度避けれるかもしれない。しかし、高齢者は逃げ切るのみというのは、許されるのか。団塊の世代が無責任世代であることが顕在化しつつあるようだ。


2.国際社会の混乱

@人類の歴史
 人類の歴史は、権謀術策を弄し、最後には力の強い者が弱いものを征服し支配していくことの連続であった。クラウゼビッツの「戦争論」にあるとおり、戦争は政策展開の延長である。
 ただし、2つの大戦後、若干平和な時期が続いており、近年は、世界レベルの戦争は途絶えている。
 これは、ヒューマニズムの普遍化、戦争の犯罪としての認識、さらに人類の破滅の可能性やコスト・ベネフィットの発想からの戦争回避が要因であろう。

A進みつつある混乱
 しかし、現在、多様な国内的あるいは国際的争いが起こっている。
 国家を運営していくには、専制的政府が避けられない国も多いが、こうした国はヒューマニズムに強い価値を置かず、戦争の回避を強く指向しないようである。ロシアはウクライナに戦争を仕掛けている。中国の領域拡大への動きも目立つ。北朝鮮の軍備拡大も目立つ。
 また、今後の地球温暖化による混乱等のなかで新たな争い勃発の可能性も高くなっている。

B日本も軍備増強への道
 こうした今日の世界の状況下で、我が国では、軍備増強拒否の議論が弱くなっている。
 自衛と称して戦争に備える動きを強くしている。国会での議論もほとんどせず、施策展開が一人歩きし、西欧諸国と同じ価値観を持つとして、その雄であるアメリカの後を追っている。

C9条の議論はどこへ
 日本国憲法第9条を素直に読む限り、日本の現状は明らかに憲法違反である。
 戦力の積上げをどう控えることができるか。難しい課題だが軍備増強には際限がなく最後は破滅に至ることを認識しておく必要がある。
 首相は積極的平和への貢献を主唱しているが、その実態は、ヨハン・ガルトゥングが1958年に提唱したPositive Peaceの概念と真逆である。

D平和への貢献
 戦争を避け、平和を実現していくためには、普段から、正義に適う多様な国際的繋がりを創っていくことであろう。
 このため、発展途上国への様々な支援はもとより、多様な災害からの復旧に対する支援、健康・教育等々への支援を行っていく必要がある。さらには、率先して地球温暖化ガスの排出を大きく削減していくことも平和の貢献に繋がろう。また、過去の蛮行をしっかり反省し、発信していくことも不可欠である。
 欧米と価値観を一にすると単純な立場を取るのでなく、極東にあることを活かし、世界の多様な争いを仲裁していくような立場を形成できないものだろうか。


3.持続可能な未来社会
 本当に持続可能な社会は今日の社会とは全く異なるものとならざるを得ない。

@拝金教の棄教
 地球温暖化に鑑みれば、生産消費活動の沈静化は避けられない。
 景気浮揚を望むことが実は、極めて危うい発想である。最早、経済活動最優先の拝金教は捨てなければならない。
 温暖化ガス排出の多い職場に勤める者は、多様な経緯を経て、早晩職場を変えていかざるを得ない。
 また、個々人が自らの許容量を考えれば、飛行機旅行や遊興のための自動車利用など、温暖化ガスの排出を主体的に削減していかなければならない。
 このため、生産・消費構造が大きく変化することとなり、この負担をたまたま現在携わっている者だけでなく皆で分け合わざるを得ない。

A人口減少の受入れ
 また、人口の縮小も温暖化ガス排出削減の基本となる。
 特に食料自給の危うい日本にとっては、人口減少を積極的に図っていくことが求められているのではなかろうか。
 これを拒否するのでなく、むしろ積極的に受け入れていく必要がある。
 これも社会構造を大きく変えていくこととなり、その負担を皆で分け合っていく必要がある。

B支え合い楽しい社会
 厳しいが、温暖化ガス排出が極力少なく、皆で支え合う楽しい社会を積極的に形成していくことが求められる。

Aug.23,2023

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