愛とケア

 人は誕生してから自分をケアしてくれる人を見つけ、その人との繋がり方を身につけていく。また、様々な体験のなかで、周りにいる多様な人との繋がり方も身につけていく。個人の経験は多様であるし、多くの人の経験も千差万別で多様である。
 そしていろいろな状況の中での各自の行動は、、その人が持つ経験を参照し、その時なりの判断を下して選択される。この選択は、各自なりの性向はあろうが、画一的なものでなく、各自の脳がその時なりに選ぶものである。
 このように人それぞれが多様な行動をするため、多様な物語が紡ぎだされることとなる。こうした行動の背景にある感情を愛というのであろう。
 抒情的な物語について、同じ立場にあった場合に自分自身がどう行動するかはともかく、内容はそれなりに理解でき、楽しむこともできる。

 私自身も愛の感情の存在を理解できるつもりだが、愛の感情に基づく行動を起こすことは必ずしもない。人を支える(ケアする)ことはもちろんあるが、それは、ケアすべきと感じるからであり、必ずしも愛を媒介していない。
 情に流されない理知的な生活を指向していると、こんなことになってしまうのであろう。何の不都合もない。ただし哀悼の意を表する時など、そのようには装うが、若干の違和感が避けられないこともある。やはり、ちょっと狂っているのかもしれない。

 愛は特定の相手がいて個別的なものであり、ケアは相手を選ばず普遍的なものと整理できるかもしれない。ただし、人類愛などといった言葉もある。

Jul.13,2025

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