自由意志脳では、細胞どうしが互いに様々な情報のやり取りをし続けている。このうちのごく一部が我々の意識に上るが、それは細胞どうしの情報のやり取りの後にもたらされている。細胞どうしの情報のやり取りから生み出された新たな情報をメタ認知しているのが意識である。このため、自由意志というものはないとさている。 しかし、細胞どうしの情報のやり取りの中で、意識に上ったものを自由意志と呼ぶことにすることもできよう。勿論、これを幻想と言うこともできる。 自由意志がないとすれば、自己責任とは何かが問題になるが、自由意志という幻想を含めて自己責任を規定すればいい。 以上「茂木健一郎著『生きがいの見つけ方』PHP新書、2025年」参考 多様な生物は、それぞれなりの意識を持って生きており、それら総体が生物としての存在である。ここに生物の差異はない。 素直に考えれば、これを強く尊重すべきという発想がある。しかし、一方では、尊重する必要はないという発想もありうる。 結局は、自らが生きていく範囲で他の生物の生を邪魔するが、それを超えればなるべく尊重していきたいということに落ち着くのだろうか。 尊重する必要はないという発想では、自らの集団外との争いを辞さない姿勢で、戦争も否定しないことになり兼ねない。 Aug.09,2025 目次に戻る |