ウブントゥあるいは共愉私が自分自身の生き方を考える場合、リベラルな発想として、自由、平等を基礎に置き、カントやロールズに沿って展開している。ただし、生き方の方向性が出てこなので、自分なりの考えとして、イリイチのコンビィビィアリティ(共愉;「皆で楽しく支え合って生きていくこと」)等を追加している。ところで、アフリカ中南部のバントゥ諸語にウブントゥ(Ubuntu)という言葉がある。ウブントゥを持つ人とは、その人が他の人間を気遣い、配慮に満ちた、寛容でホスピタリティのある優しい気持ちを持ち、社会における義務に忠実な人であることを意味している。 西欧、そして我が国の哲学では基礎的なものとして、ウブントゥは、並べられていない。というより顕れない。しかし、自由、博愛、平等などと並べられてもよい基礎的な規範概念でなかろうか。 ウブントゥをもっと強く掲げてもいいだろうし、むしろ、今後は、いつも基本な規範として並べていきたい。 「人類はどこで間違ったのか」という中村圭子の問いがある。農耕を始めて以来ということのようだ。この際このウブントゥの規範を失ったということであろう。 ちなみにウブントゥは「河野哲也著『アフリカ哲学全史』ちくま新書2024年」に紹介されている。 Sep.21,2024 表紙に戻る |