教養書

 「石井洋二郎『教養の鍛錬 日本の名著を読み直す』集英社新書2024年」は、かつて教養書として盛んに読まれた本を要約して紹介している。「善の研究」、「三太郎の日記」、「愛と認識との出発」、「『いき』の構造」、「風土」、「君たちはどう生きるか」が取り上げられている。有名である割にはそれほど読まれてはいないとされており、小生も紹介する文章には触れたことはあったが直接は読んでいない。
 しかし、今般、本書を読んで、全く面白くなかった。かつて、なぜこのような書物が多くの人に受け入れられたのか不思議な感じがする。

 形而上学的な話は、主観的なものとなりがちである。これを避けるには、関連した多数の論述を参照すること、論理的展開に努めることが不可欠であろう。どうも、現在に比べてかつては、情報が少なく、経験科学的展開の能力も不足していたということではなかろうか。

 それでは、今、若い人はどのような書から教養を身に付けるのだろうか。よく分からない。そもそも教養を書物から身に付けようとはしないのかもしれない。さらには積極的に教養を身につけようとしていないかもしれない。

 私自身は、宮沢賢治、武者小路実篤、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介等の小説は読んでいるが、教養を付ける勉強はあまりしてこなかった。

 ただ、県庁を退職した後、大学での授業を受け持つことを契機に、教えることに必要ないろいろことを勉強した。これにより、分野は偏っているかもしれないがて、自分なりにある程度の教養を身に付けたような気がしている。

 大学を退職した今、先端科学の進展を紹介した本とともに、新書版が中心だか、哲学・宗教・倫理・文化・社会・経済等々広範な本を読みあさっている。そして大げさに言えば、如何に生きようかと考え続けている。
 これを若い時期にやっていたら相当に人生が変わったものとなっていただろう。もっとも時間的余裕が持てなかったことも否めない。

Sep.15,2024

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