戦争時のプロパガンダ
−イマジナリー・ネガティブ−

 「久保南海子著『イマジナリー・ネガティブ』集英社新書、2024年」を読んだ。
 本書はネガティブなプロジェクションのエピソードを列挙したものである。「プロジェクションとは、作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界を重ね合わせる心の働き(かなり分かり難い説明だ)」で、2015年認知科学の鈴木宏昭氏が提唱している。
 ところで、脳科学において意識とは、外界の情報(脳内で理解できるよう加工したものが届く)と脳内の記憶情報から物語を作る作用として捉えられているようだ。つまり常にプロジェクションを伴っているようだ。そして、この意識は、自らが想定する方向へと偏る確証バイアスを伴いがちである。つまり、意識に正しいという保障などないということだ。意識のこうした理解の中で「プロジェクションの事例」を殊更取り上げる必要があるのだろうか。

 あるいは、ネガティブなプロジェクションを類型化していることに本書の意義があるかもしれない。ちなみに、本書では次のような類型が挙げられている。
  イマジナリー・カース(霊感商法等) 
  イマジナリー・アクシデント(オレオレ詐欺等)
  イマジナリー・コンスピラシー(陰謀論等)
  イマジナリー・ジャスティス(戦争時のプロパガンダ等)
  イマジナリー・ゴースト(事故物件等)
  イマジナリー・マウント(マウント等)
 しかし、これで例が尽きるのだろうか。例えば、進化論や人類のアフリカ起源説が長い間受け入れられなかったが、これは欧米こそ世界の頂点にあるという偏見が背景にあったためと考えられる。こうした偏見による物事の理解はネガティブ・プロジェクションそのものであろう。
 ちなみに確証バイアスとして100の事例を挙げたビジネスサイトがある。
 なお、ポジティブなプロジェクションの事例もいろいろとあり、「推し」などが挙げられる。


 ところで、イギリスのアーサー・ポンソンビー卿は、戦争時の国家によるプロパガンダとして次のような共通したものがあるとしている。
 @われわれは戦争をしたくはない。
 Aしかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
 B敵の指導者は悪魔のような人間だ。
 Cわれわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大儀)のために戦う(正義論)。
 Dわれわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる。
 E敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
 Fわれわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大(大本営発表)。
 G芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
 Hわれわれの大義は神聖なものである(聖戦論)。
 Iこの正義に疑問を投げかける者は裏切り者(売国奴、非国民)である。
 このようなプロパガンダが展開された場合、我々はこれから逃れることができるだろうか。かなり難しい。
 Iの裏切り者という指摘は、裏切らない姿勢が美徳として受け入れられるということだろう。小生としては、他人を殺めてはいけないという道徳律を超えて、美徳が大事なものと考えたくない。最後は、自らの命を失う状況になっても、この信念を貫きたい。もちろん国として一定の範囲の迎撃力を持つことは必要であろう。ただし、バランスオブパワーの観点から議論すると際限がなくなる。
 しかし、大事なことは、平和が実現するよう普段から最大限の努力をすることであり、現代社会はこれを忘れているのではなかろうか。

Oct.24,2024

表紙に戻る