意識することの報酬「伊藤浩介著『脳と音楽』世界文化社2024年」を読んだ。音楽の成り立ちを脳の機能から解明しており、興味深かった。12音階の生理学的背景、弛緩と緊張から生み出される音楽の情感、音楽を意識する際の感覚処理と認知処理、ドパーミンの報酬など。 ただし、このドパーミンの報酬とは音楽を楽しむために進化の過程で形成されたものではなく、ヒトの意識活動を促すメカニズムとして形成されたものであろう。 **********以下、理屈ぽく、稚拙な文章に留まっているが、メモとして残しておく。********** 意識とは、外部からの刺激と脳内の記憶を集め仮想現実を形成し、ここから新たな物語を創出する閃きである。この過程でドパーミンが分泌されるのは、物事を考えること、意識することに喜びを感じることであり、意識すること即ち知的活動を促し、生物、特にヒトの進化を方向づけた。 音楽に触れ喜びを感じるのは、そこに意識活動があるためである。つまり生きていくための知的活動のスパンドレル(付随物)として音楽が生まれたということになる。 その認知的処理は次第に厚みを増していき、内面的豊かさに繋がっていく。このため、個々人の経験の違いから、音楽への感動は、人によって大きく異なることとなる。音楽への評価も人によって異ならざるを得ない。 ちなみに、音楽には、コミュニケーションの手段となり社会的な意味を持つという側面がある。 小生は、本を読み知識を得ることに、喜びを感じている。これと音楽に触れることへの喜びにはどんな違いがあるのか。いろいろと理屈は付けれようが、突き詰めればいずれも楽しく感じるから行っていることだ。 ヒトが好んで行う行動の評価は、個人が勝手に判断する事で議論の意味はないだろう。 話は別になるが、推し活に興じることをどう評価するか。興じる人は喜びを感じているに違いない。推し活は、個人の勝手で、各自なりの生活時間・金銭消費のバランスの中で判断されればいい。社会的価値などの議論は、話が別であろう。ただ、現代のパンとサーカス(グルメと推し活)が人々の関心の前面にですぎているのではないかと気掛かりである。 Nov.10,2024 表紙に戻る |