誠実に生きることを忘れた日本人

「本村凌二著『教養としての世界史の読み方』PHP文庫2024年」を読んだ。
 学者が一般書を書こうとすると、真実からの飛躍が規制されるため、面白く語ることが難しいとさんざん述べている。そこで、本書では、筆者がその学生への講義の中で楽しく語ったことを綴ったとしている。扱われている課題は、文明の発生、民族の異動、宗教、帝国の興亡、歴史の同時性、現代史としての歴史などである。これが、世界史を概観したものとなっているか若干懸念がある。ただ、世界史の新しい捉え方として、文明の発生が気候の乾燥化の中で人々が河川流域へ移動したため、とかフン族と匈奴を敢えて民族として区分することの錯誤など興味深かった。また、現代社会の解釈として、ロシアとウクライナの歴史的経緯やヨーロッパの中でのドイツ、イギリス、ギリシャ等の捉え方、あるいは、中国の国内植民地政策等々もなるほどと思われた。

 こうした中で、近代日本の発展の背景には、ソフィスティケートする能力があり、その基礎に誠実さがあったとしている。そして、誠実に生きることを忘れていることが現在の大問題だと繰り返し指摘している。著者は、これを新渡戸稲造の「武士道」を引用するなどして説明しているが、新渡戸は「日本人は宗教を持たずにどうやって道徳を育んでいるのか」の解として「武士道」を著している。

 誠実さを忘れているという指摘は、本書の本筋からずれていると思われるが、日本の今日の大問題であることは間違いない。政治家も嘘をつき続けているし、多くの企業活動でも法律違反がまかり通っている。トヨタの会長などは「企業の不正の撲滅は無理」などと他人事のように語っている。そして多くの人が、専ら一層の所得を求めたり、推しに励んだりしており、行政もマスコミもこれを後押ししている。日常生活の中で、誠実に正しく生きようとし、よりよき社会の形成を考えることなどには関心がないようだ。
 多くの日本人が誠実に生きることを忘れ、というより誠実に生きるべきことを身に付けずに育っており、これでは、日本社会が次第に崩れていくことは、当然であろう。

(Jun.05,2024)

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