政策転換の失敗

「山口二郎著『日本はどこで道を誤ったのか』インターナショナル新書2024年」を読んだ。
我が国の高度経済成長後の政策転換の経緯を辿り、その選択の誤りを解明している。小生の理解とも重なっており、十分納得できる。

 ところで、高度経済成長が石油ショックによって終焉した直後の新たな政策の選択について、三木内閣は「生涯設計<ライフサイクル>」を提示している。従来のパターナリズムを排してリスクの社会化の仕組みを整備する構想であることを著者は評価している。さらに、ライフサイクル計画研究会のメンバーにより、報告書「総合社会政策−福祉社会への論理」が出されており、西欧型の公的制度によるリスク処理と、日本における企業、家族という共同体によるリスク処理のベストミックスを模索するという問題意識を持っていたと評価している。ただ、ロッキード事件の解明が三木内閣の最大課題となっており、この計画は実際の政策として展開されなかった。そしてそれ以降の政策選択の経過を辿っても、今後の方向が見えず憂鬱になってしまう。

 実は、小生は、この報告書「総合社会政策−福祉社会への論理」の取りまとめに携わっていた。といっても事務局の隅で資料の準備整理等の役割である。しかし、ここで議論された内容が、小生自身のその後の仕事の基礎になり続けたことは間違いない。
 小生は、大学で計画の科学を学び、行政計画の策定に携わりたく、経済企画庁に入った。しかし、高度経済成長期末期には我が国の各種基盤施設の整備は概成しており、国が国土総合計画を策定し全国一律の旗を振る時代は終わっていた。このため、1970年代末に富山県に籍を移させてもらい、その後富山県の各種行政計画の策定に携わった。ただ、県民総合計画策定などで人口の捉え方、県の基盤施設整備の進め方を改めるべきことについて、一旦は知事を説得することもできたが、実態として政策を転換させることはできなかった。
 高度経済成長期以降の政策転換がしかるべき方向になされず、今日の経済社会情勢は極めて厳しい状況に陥っている。団塊の世代の一人として、若い人たちに極めて申し訳ないと感じているところである。

Jul.22,2024

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