政治意識

 「中井遼著『ナショナリズムと政治意識』光文社新書2024年」を読んだ。
 政治学者が統計資料を用いて実証的説明を尽くしたものである。
 しかし、ナショナリズム、右翼・左翼、保守・革新(リベラリズム)、民主主義・権威主義等々この分野ででてくる言葉は定義があいまいである。また各論者なりに定義をしてもそれに属する事象が一意的ではない。各国(地域)毎の政治的現況、歴史的経過でまちまちとなっている。例えば、日本の若い人は共産党を保守と理解しているそうだ。一定以上の年齢の人には奇異に感じるが、たしかに今日の共産党を見ると言葉の用法としては正しいのかもしれない。
 このようなことから、政治意識に関連した用語は安易に使えない。西欧諸国の右傾化が見られるが、これについても各国がどのような状況にあるかを理解して用いる必要がある。そして各国の個々の事情は理解できても、政治意識の話題を体系的に捉えることは難しい。結果として本書は、難解なものとなっている。

 本書では、左翼と右翼の識別について2つの軸を示している。再分配志向と市場志向を極として持つ経済的軸、GAL(Green,Alternative,Libertarian;環境運動、異なる価値観、リバタリアン)とTAN(Traditional,Autoritarian,Nationalist;伝統的、権威主義的、ナショナリスト)を極として持つ文化的軸である。一応前者が左翼、後者が右翼となろう。しか両軸の左翼右翼が混ざった発想もありそうだ。

 自分の政治的志向を、厳格に政治用語に当てはめる必要などないのだが、自分の考え方、生き方をどう位置付けるか混乱する。これまで私自身は、自分をリベラル志向と考えていたのだが、いろいろと怪しくなってきている。

 いずれにしろ、自分はどのような生きたいか明確にして、その前提のもとで自律的に生きるにはどうするか考え抜いてい行動していくことになる。
 ただし、このような生き方は、かなり難しく、各自の育った環境の中で幼少期から身に付けている必要があり、これが教育の大切さである。近年は、政財界のリーダーでも、この自分を律して生きていく発想を持たない人が増え社会が混乱しているように思える。

Jul.05,2024

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