健康のためには死んでもいい近年の我々日本人の生き方は、健康のためには死んでもいいという状況でなかろうか。現在、地球温暖化が進み、様々な災害が起こりつつある。国連事務総長は温暖化でなく沸騰だとさえ言っている。間もなく我々の周りでも一層の大混乱が起き続けるであろう。 このため、温暖化ガスの排出を削減ではなく、限りなくゼロに近くする必要がある。これは、先進国の責務であることは間違いない。 しかし我々は、景気浮揚を求めて、自動車を始めとする多様な物財の生産消費の拡大を求めている。また、観光産業の振興も強く求めている。飛行機や自動車の利用は膨大な温暖化ガスを排出するのだが。富山でいえば、立山の除雪などを続けているが、これは気違い沙汰ではなかろうか。 SDGs対応などと言っているが自己満足に過ぎないように思える。高齢者の小生自身にとって最小限の冷暖房は欠かせない。それ以外では極力削減するよう努めているが限界が在る。 結局は、覚悟して、生活の仕方、仕事の内容をかなり変えていく必要がある。 他方、世界平和についても、危うい行動を続けている。 現下の世界情勢の中で、戦争への危惧に対しての備えを国会での議論もせず進めている。さらにこのことへの反論が、極めてし難い状況となっている。 これに対して、平和への努力は極めて乏しい。日本の立場をうまく活用して展開してくれば、国際社会でそれなりの評価を受け、日本を蔑ろにできないという状況も創ってくることはできただろう。 日本の現在のような姿勢では、戦争が起きた際には真っ先に潰される国となろう。 日本は、国際社会の中で、早期に潰れ消滅して欲しい国となりつつあるのではなかろうか。 我々は、何を求めて生きているのか分からなくなっている。経済活動のためには潰れてもいいという状況だ。まさしく健康のためには死んでもいいという発想であろう。 Feb.11,2024 表紙に戻る |