どう生きるか 可能な社会像

 私は、どう生きていくか。そのための可能な社会像はどのようなものか。似た内容のメモを作り続けているが、現時点なりの考えを整理しておきたい。

 我々の存在は、138億年前の宇宙誕生以降の物理的作用で出来上がっているもので、この経緯からはあるべき姿など想定できない。ただし、私は、人と全ての生き物の中の私であることには留意しておく必要があろう。
 私のあるべき姿が事前的にないため、結局、まず自分がどう生きたいと欲求しているか宣言せざるを得ない。ただし、この欲求は、自分が生まれてからこれまでの環境の中で、自分が身に付けた欲求である。そして、こうした欲求は、各自各様なものとなっている。
 ちなみに私自身は、皆で仲良く楽しく暮したい、コンビィビィアルな社会(共愉社会)で生きたいと考えている。

 そしてこの欲求を実現していくためにどう行動するか考えることとなる。このために自分を含めた社会の像を描き、正しく生きようとすること(論理的に正しくかつ正義に沿うこと)が、整合性のある生き方となろう。
 こうした整合性のある生き方を殊更気にしない者もいるかもしれない。これを否定することは難しいが、このような人とは社会の在り方について議論しようがない。ただ、近年、政治家にしろ、企業で働く人にしろ、嘘を付くことを意に返さない人、正しく生きようとする道徳律を身に付けていない人が多くなっているようだ。ちなみに脳はいつも自分に都合よく判断するようになっているので、私たちは、常に正しい判断かどうか自省し続ける必要がある。

 社会には多様な困難な課題があり、実現可能性に配慮しつつ、自分の欲求を実現する社会の像を描くことは必ずしも容易ではない。特に、我々の現実に生きる社会は唯一で、包括的に社会の課題を考える必要がある。何かの課題を無視していい訳ではない。
 しかし、神羅万象を考えることはできず、軸となる課題を拾って考えていかざるを得ない。そして今日配慮すべき課題として、地球温暖化、公共社会、世界平和の3つがあるのではなかろうか。以下は、これらについての可能な社会像を私なりに描いたものである。

@地球温暖化
 人類の活動による温暖化ガスの排出により、既に気候の変動がかなり進みつつある。これを手遅れとして放置せず可能な限り対応すべきことは間違いない。
・まず、多様な活動を縮小せざるを得ない。人口の縮小、経済活動の削減など必要だが、このような発想は難いだろう。例えば、温暖化ガスの一人当たり排出許容量というものを考えることが具体的行動の手掛かりとなろう。
・他方で、予想される災害の回避としての居住地の再編、食糧自給への対応などが必要であろう。

A公共社会
 我々の生きる術を市場経済、民主政治のみに委ねることには限界が見えている。このため、公共圏でのボランタリィな活動により解決していく必要があろう。具体的には、地域で皆がいつでも集まれる場を形成し、多様なシェアを契機としていく必要があろう。
・所得・資産の格差が極端なものとなりつつあり、社会の分断が露わになりつつある。これは経済・政治の大きな課題であるが、地域社会でのボランタリィな支え合いにも期待したい。
・また、孤立者、貧困者が増加する中で、多様な困難な状況の発生を予防するとともに、必要なケアを社会で担うことが求められる。
・他方、暴発的犯罪(キレる人)の増加しつつあるようだが、道徳律を体得した(正しく生きる)次世代を育成することも重要である。

B平和維持
  国際社会の平和維持がきわめて危うくなってきている。これへの個々人の対応は、極めて難しいが、強い共通意識を形成して対応していく必要があろう。
・平生からの国際貢献として、多様な人材派遣・技術協力等を展開していく必要があろう。
・他方、現実には、各国を敵味方に分けて考える地政学的な発想を持ち自衛と称して軍備を拡大する国が多い。このため、バランスを配慮して、それなりの対応が必要である。例えば、国際貢献と軍備に割く人・予算は同程度を目安とする、あるいは武器の輸出はしないなど自省し、平和を求める国であることを明らかにすることが必要ではなかろうか。

 いずれの課題も実現はもとより賛同を得ることも極めて困難であろう。しかし、人類が将来へと生き延びるには避けることができず、開き直って主張し続けたい。

Aug.10,2024

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