ケアの倫理

 「岡野八代著『ケアの倫理』岩波新書2024年」の中に、次のような記述があった。
 「まだ言葉を解さないような小さな子供を育てていれば、『出勤時間に間に合うよう、子どもを保育園に連れて行かなければならない。子どもを起こし、オムツをかえ、顔や手を拭いてやり、今日一日元気で過ごせそうか熱を測る。子ども用の食事を与え、食事を楽しむ子を見届け、また汚した顔や手を拭いてやり、嫌がるのをなんとかなだめながら歯磨きをさせ、時間がないなか、絵本をもってきたりすれば、時間を気にしながら少し読んであげる。今日一日の天候と気温を気にしながら服を着替えさせ、もう一度オムツを確かめ、保育用の持ち物をチェックする。』こうした時間と気遣いと手間が、自分の出かける準備に加わる。」

 私自身は、後期高齢期に差し掛かった夫婦であり、子育てはずっと以前に終了している。退職前は、勤め人と専業主婦の夫婦で、私は、このようなケアのことは、理屈はともかく実感としては殆ど感じてこなかった。そしてこの子育て中の出勤前の描写されたケアの大変さを自分があまり考えていなかったことに気付き驚いた。
 現在の生活は、炊事、洗濯、清掃等々は全てお任せで言わばホテル生活のような状況になっている。さらに、夫婦共通の事ばかりでなく、私自身の個人的な活動にも気を配ってくれており、口に出さないでもいろいろと用意してくれている。まさしく、ケアされる事を体現しているということだ。

 ミラーニューロンというのがあるが、ケアでは、逐一の行動のミラー(写し)というより、相手の生活を脳の記憶に写し持っていて自分自身と分け隔てなく自然に行動しているといえよう。

 私自身は、正義論について普段は、功利論、義務論、徳論を並べ検討している。極めて乱暴に割り切って言うと、功利論は経済活動に好都合であろう。また、義務論であれば政治の議論の基礎となり得よう。さらに、徳論は社会生活用いることができよう。そして私は義務論を選好している。
 そして、最後に「もう一つの声」という倫理観もあると掲げておく程度である。
 岡野の本書は、ギリガンの「もう一つの声」を中心にして、ケアの倫理(≒フェミニズム)に掛かる歴史的議論を解説したものである。正直言って、内容はかなり学術的に整理されており、流れを追うのが難しい。

 しかし、私が挙げたような3つの倫理観では、地球温暖化の回避や平和の維持など解けない課題がいろいろとある。私自身は、人の生き方について議論する際には、人類の存在の経緯からみて、こうあるべきというものがアプリオリにはないので、まず自分がどうしたいのか、どんな生き方を望むのか宣言して、そこから検討を進めるべきと考えている。
 そして、私としては、コンビィビィアルな生活、皆で仲良く楽しく生きたいと宣言している。しかし、よく考えると、これ自身がケアの倫理につながるもので、これを最初に宣言するべきなのかもしれない。
 ケアの倫理によって、人類は精神的な新しい階梯に登ることができるのかもしれない。

 以上、フェミニズムの主張が昇華すれば、人類の進化に繋がる可能性があると短兵急に結論を述べたが、今後いろいろと検討していく必要がありそうだ。

Apr.30,2024

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