新たな経済体制

 以下の文章は、全くまとまったものとなっておらず、取り合えずのメモです。地球温暖化対策に配慮した経済のあり方を考え、途方に暮れているところです。

◎新たな生活を考える
 大転換の時代の経済活動の在り方をどう描くか。
 それは生産活動が先にあるのでなく、どのような消費生活が可能か検討することがまず必要であろう。

 描く消費生活は、地球温暖化ガスの排出量をどれくらいに削減していくかが基礎となる。現在の排出量が過剰で、ゼロに近づけることは当然であるが、その目安をまず明らかにしておく。

 これに関して、消費生活の中での一人当たりの排出許容量というものが設定できるのではなかろうか。
 そして、変革の時代の道徳律は、カント、ロールズ流の義務論によらざるを得ないだろう。その結論として、一人当たり同じ量を設定せざるを得ないことになる。さらに、先進国がこれまで大量に排出してきたことに配慮すれば、その半分を早急に目指し、そして、ゼロに、さらにはマイナスへと展開していく必要があろう。
 いずれにしろ極力排出を避けた生活が求められている。

 このような発想をすると、自動車による遊興は止める、観光旅行も長距離移動は控えるか止める、自家用ジェットの利用などは反社会的な行動であるなどの見方が自然にでてくるであろう。
 そして、個人一人ひとりの消費の上限があることになると、一定以上の所得は無意味になってくる。こうした発想の合意・共感が全ての出発点になるのではなかろうか。
 今日、日本でテレビを見ると、もっぱらパンとサーカス(今日的にはグルメと推し活)の喧騒となっている。これらの総体を否定することはないが、内容の吟味が求められるし、我々は何をすべきなのか考えることに少しは時間を割くことが必要ではなかろうか。

 また、温暖化ガス排出削減とともに、むしろ何を楽しんで生きていくかを検討することが大事になってくる。
 直観的に言うと、衣食住等の物的消費・サービス消費は多くを求めず、地域社会で仲間と一緒に生活を楽しむことではなかろうか。人を排除せず、触れ合い、互いにケアし合い、そして好きな事を自分なりにして楽しむということであろう。

◎新たな地域経済の展開
 上述のような消費生活を支える経済活動とはどんなものだろうか。
 具体的に描くことはかなり難しい。
 しかし、その手立てとしては、地域社会で、今後展開していくことが望まれる様々な地域の活動を取り上げ、鼓舞(激励)していくことではなかろうか。
 地域に開かれた活動、多様なケアにつながる活動、生活を支えるためのその他の基礎的な活動、地場の資源による生産、優れた技術、優れた経営等々。

 これには、市民、マスコミ、経済団体等々、様々な主体が担っていく必要がある。
 これで、地域経済が成り立つか、疑問も多いだろう。必要な財サービスを地域外から移入するためには、自らの生産する財サーピスを移出する必要がある。これには、地域にある優れた技術、優れた経営を一層高めていく必要がある。特に特定分野の集積を生かしていくこととなろう。かつてのテクノポリスはこのような発想があった。

◎国の経済として成り立つのか
 それでは、国全体としての経済運営が成り立つのか。これまで易きに走っていたから、当然かなり描き難い。いずれにしろ多様な技術・システムの工夫・開発を進めていく必要がある。

 具体的な産業は、前提として地球温暖化ガスの排出がない生産様式を採る必要がある。
 そして、まず人々の消費生活を支える財サービスの生産が必要である。特に、ケア、食料等が求められる。
 また、外貨を得るための財サービスの生産が必要だが、観光振興などは望ましくない。独自技術を核とした多様な生産を創造していく必要がある。

 こうした産業の転換は、既存の雇用に大きな混乱をもたらす。自動車関連、観光関連、建設関連等々の仕事が縮小せざるを得ないが、大きな方向性を否定できない。
 現在、多くの人の働く場が否定的になり、人を育てることを忘れている。このため我が国全体で能力の低下がもたらされている。
 ちなみに、非正規雇用が許されるのは、それぞれの企業にとっての臨時的業務に限るべきもので、雇用期間の限定から賃金水準はかえって高くすべきではなかろうか。常識から外れていると言われるだろうが、本来、非正規雇用を雇用調整の手段とすることなど許されないことと思える。

 新たな産業像は、現在の状況からかけ離れており、なかなかうまく描くことができず、今後とも検討し続けていかざるを得ない。

Apr.20,2024

表紙に戻る