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参考 地域創りの意思決定
第2節 行動原理 ―正しく生きる―
第4項 規範と行動

2.生き方の転換
―社会・経済・政治での方向性―

1.利己・利他の軸

 我々の存在は、ビッグバンから太陽系・地球の形成、生物の発生・人間への進化に至る幾多の偶然の上に成り立っている。そして我々の行動の性向(人間の本性)はこの経過に規定されている(自然史の中で自ずと方向づけられている)。この規定に縛られずに自由に行動していいという発想も可能だが、これでは拠り所を全く失ってしまう。ただし、この規定を誰もが納得する形で明確にすることは困難で、各自が勝手な解釈をしがちなことも事実であろう。
 生物の進化は、自然選択のなかで適者が生き残った結果であり、これは、強者の生存と殆ど同義に捉えられる。そして、我々は生き残るために努力すべきとされる。一般にスペンサーの社会進化論(社会的ダーウィニズム)はこの文脈で捉えられる。しかし、人類の進化は、強者になろうとする性向(利己的性向)と同時に、社会的存在として他を支えようとする性向(利他的性向)があって初めて達成されてきたのではなかろうか。
 ただし、我々人類は、この利己的性向と利他的性向の均衡を図って争いのない社会を実現する体制(社会のメカニズム)を未だ確立していない。
 このため、生き方の転換を考えるに当たって、この利他的性向と利己的性向の均衡をどのあたりで取るかが常に課題となるのではなかろうか。

2.3つの領域

 かつて近代化以前の社会では、限られた都市地域を除けば、生活の殆どはそれぞれの村の範囲内で、家族・地域社会が助け合い、自給自足で行われていた。
 近代化以降、次第に市場経済が入り込み、雇用されて働き、給与を得、商品を購入し、消費するという生活が一般的になっていった。
 さらに、様々な社会の課題を解決するため、政府が多様な役割を担い、我々の生活を支えるようになってきた。
 そして、従来、家族・地域社会が担っていた機能は、市場・政府に委ねるようになり、かえって自らの発想による主体的生活を失っていった。

 現代日本の具体的な課題としては、経済成長が続かなくなり、市場経済の下では配分の課題が解決できず、様々な格差が生じ、暮らし難さが顕在化してきたことであろう。自由主義経済を標榜する政府の下では、様々な格差是正策が十分には機能せず、多様な課題が噴出している。こうした中で、市場・政府には、委ね切れないものがあるとして、家族・地域社会の在り方が議論され、コミュニティ、ボランティアといった言葉が飛び交っている。
 今後、地域をどう創っていくか。いろいろと考え方が分かれるが、以下ではその基本的考え方を整理する。

 このような課題に対して、J.ハーバーマスは、公共圏での熟議を説いている。

 また、H.ミンツバーグは、『私たちはどこまで資本主義に従うのか(Rebalancing Society)』で、経済、政治セクターに対して、多元セクターの活性化が必要と説いている。

 さらに、R.パットナムは、社会資本(人と人の繋がり)の重要性を指摘している。


3.社会・・・開かれた生活による繋がりの形成

@近代社会

 今日、閉塞する社会の中で「コミュニティ」の在り方に期待が寄せられている。ただしこの場合の「コミュニティ」は幅広い概念として用いられている。

集団類型論の系譜
テンニースゲマインシャフトゲゼルシャフト
クーリー第一次集団第二次集団
マッキーバーコミュニティアソシェーション
高田保馬基礎社会派生社会
 なみに社会集団の類型として、大きく近代以前の類型と近代以降の類型に二分する説がいろいろとある。


マッキーバーの類型の概念
コミュニティ地域性と共同生活の存在と共属感情による
基礎的社会集団
共同関心により成立
なんらかの自足性を持つ
アソシェーション特定の類似の関心に基づいて限定的目標を
達成するための集団
人為的に構成
 R.H.マッキーバーはコミュニティに対峙し、地縁に縛られないボランタリィな集団として、アソシェーションを挙げている。かつて家族地域社会(狭義の「コミュニティ」)は肯定的な側面ばかりでなく、人々を拘束するという意味で否定的な側面も抱えるものとして捉えられていた。


 地域社会組織の弱体化に対する懸念は、行政府内でも1970年前後に既に現れている。この時期は、我が国が経済的キャッチアップの過程を達成し、大衆社会が形成され、包括的な国家目標が曖昧になり始めた時期である。具体的には、国民生活審議会において、「コミュニティ」の言葉が現れ、ついで、自治省が、モデルコミュニティなどの施策の展開を図った。
 マッキーバーの社会の捉え方は有用であると考えられるが、今日、我が国では「コミュニティ」という言葉が幅広い意味で用いられている。このため対峙する2つの社会類型として、以下では、「家族地域社会」と「アソシエーション」を用いることとする。

パットナムによるソーシャルキャピタルの分類
性質Bonding(結合型)
例;民族ネットワーク
Bridging(橋渡し型)
例;環境団体
形態Formal(フォーマル)
例;労働組合
Informal(インフォーマル)
例;バスケットボールの試合
程度Thick(厚い)
例;家族の絆
Thin(薄い)
例;知らない人に対する相槌
志向Inward Looking(内部志向)
例;商工会議所
Outward Looking(外部志向)
例;赤十字
(資料)内閣府「ソーシャル・キャピタル:
豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて」
調査委託先(株)日本総合研究所 平成14年度
 ところで、現代社会の中での人と人の繋がりの重要性を喚起したのは、R.パットナムであり、「ボーリング・アローン」の出版等を契機に我が国でもソーシャルキャピタルの議論がなされている。

 ここでの結合型の繋がりは家族地域社会の繋がりに対応し、橋渡し型の繋がりはアソシエーションの繋がりに対応するであろう。


A家族地域社会の役割の強調

 今日の社会の課題の解決の方向として、かつての家族地域社会での相互扶助の社会を取り戻そうと主張する人達がいる。
 安心して結婚し・子育てができる社会は、人口の維持増加のために必要と考えられるが、むしろこのこと自体が我々の幸福にとって必要である。そして、家族地域社会での相互扶助が求められることは間違いない。
 しかし、家族地域社会の支え合いを前提とした社会を形成していくことは、家族地域社会の一定の在り方を強要する。現実には多様な家族があり、排除される者がでる。

Bアソシエーションの可能性

 ボランタリィな行動を盛り上げ、必要に応じて、相互に支え合うアソシェーションに期待する人達がいる。
 我々が、自律した生活を取戻していくためには、多様なソーシャルキャピタルの積上げが必要であることは間違いない。
 特に、阪神淡路大震災を契機にNPO法人の制度化がなされ、その役割が社会に位置づけられてきた。
 しかし、ボランタリィな活動は依然として限られており、社会の支え合いを専らアソシェーションに期待することは困難であろう。

C開かれた生活

 円滑な家族地域社会での生活ができるように、雇用や各種の社会福祉システムを充実していくことが大前提である。
 これと同時に自律的な個人をベースとする自発的かつ開かれた性格の共同体(コミュニティ)を形成していくことが望まれる。
 広井良典は、新たなコミュニティ形成の要点として次のことを挙げている。
   @挨拶など見知らぬ者どうしのコミュニケーションや行動様式
   ANPO、協働組合、社会起業など新しいコミュニティづくりに向けた多様な活動
   B普遍的なルール・原則による物事の対応や解決
     広井良典『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書2009)
 とりあえず孤立した個人・家族に閉じこもらず、社会に開かれた生活するよう工夫し、そして橋渡し型ソーシャルキャピタルを積み上げていく必要があろう。

4.経済・・・繋がり合う生産によるしたたかな産業の形成

@生活の糧の確保

 自給自足から分業の市場経済に移り、人々は、モノ・サービスを生産し、それを誰かが購入し、その対価としての所得を得て、自ら必要なモノ・サービスを他者から購入するようになった。他者がそれなりに納得するモノ・サービスを生産することには、それなりに喜びを感じることができよう。この意味で、労働は喜びであり得る。また、企業経営者は、このようなメカニズムを形成し機能させることに価値を見出す。
 しかし、現実の社会では、この原点を離れ、より多くの所得を得ることのみを目的として活動しがちであり、多様な不都合が生じている。
 企業経営にあっては、労働力を手段として捉え、働く者の尊厳を顧みないと同時に、専ら自らの所得の増加に努める。労働者は企業組織の中で、自らの判断を停止し、所得本位に行動する。また、金融事業は一人歩きし、実体経済からはほとんど乖離した膨大な資金を動かす。
 一方、それなりの組織に属さない人は、諸制度にも守られず、生涯所得が著しく小さいものに留まってしまう。
 こうした中で、人々の所得格差が極めて大きくなってきている。かつての高度成長経済の下では、増加する総生産(所得)を分け合うことによって中間層を膨らませたが、今日では所得格差が拡大し、中間層が減少し、貧困層が増加しつつある。

A経済成長

 こうした中で、まず経済成長を主眼におき、その成果を配分していくべきとする人々がいる。成長があって初めて全員が潤ってくことができ、成長がなければ、再配分の原資も得ることができないとする。
 しかし、成長のための諸施策は、相対的に富裕層への利潤の流れを促しているのではなかろうか。例えば各種の投資促進策は、富裕層優遇策であり、労働分配率をさらに低下させる。
 さらに環境問題等への対処を放置しがちでもある。
 経済活動は、法に違反しなければ可とされるが、経済活動も人の活動であり、それを担う者の倫理は常に問われている。

B再分配

 他方、とにかく所得の再分配にしっかりと取り掛かるべきとする人々がいる。経済成長が実現しても、実際には富裕層が潤うばかりで所得格差が一層開くばかりのようである。
 また、地球環境の限界、人口の減少の中で、生産の拡大自体に無理があるとも考えられる。
 といっても、その再分配のための原資は、経済成長によって見出さざるを得ないのではないか。また、社会保障の充実は、人々の勤労意欲、自立への意欲を阻害するという指摘もある。

C繋がりあう地域産業

 経済活動は国内にとどまらず世界に広がっている。また、関連する諸制度は国内を範囲として決められているものが多く、政策的な資金の流れも多くは国の手にあり、地方でできることは限られている。しかし、地方なりに見識ある経済活動を実現させていく努力は欠かせない。
 まず地域なりに国際社会の中で伍して生きていける産業の形成が求められる。それは地域内に一定の分野で多様な過程を担う相互に繋がりあった企業群があり、需要の変動・時代の変動に即して対応していけることであろう。これは、M.ポーターのいう産業コンプレックスである。富山県であれば医薬品関連の産業がこれに相当する。
 また、地域内の生活に必要な財サービスを生産し、生活の質を高めると同時に働く場を提供し、所得を循環させていくメカニズムも求められる。これはコミュニティビジネスの事業群である。
 いずれも、地域の企業が相互に繋がりあって協働するとともに切磋琢磨して事業を展開していくことが求められよう。
 また、地域に生まれ育った企業の経営には、そこに働く者の生き方を守る姿勢も自ずと期待され、好ましい。富山県で非正規雇用が相対的に少ないのは、地域で生まれ育った中堅企業が充実しているためと考えられる。
 他方、地域なりの所得の再配分施策として、子育て、高齢者介護、奨学金、職業学習など、本来の目的を忘れずに充実していくことが求められよう。同時に、環境の諸課題に対応していくことも重要である。

5.政治・・・熟議を通じての社会正義の実現

@正義の実現

 政治は、資本主義市場経済社会のメカニズムでは自律的に実現できない不都合を調整する役割を担う。このあり方は、正義の観点(倫理観)から判断される。ただし、法律で禁じていないことは許容されるという考えは、自らの道徳判断を放棄したものである。

根幹となる感情上位の規範脳の形態(部位の大きさ)
@傷つけないこと
A公平性
A.個人の尊厳
背内側前頭前野との相関
楔前部との逆相関
B内集団への忠誠
C権威への敬意
D神聖さ・純粋さ
B.義務など
への拘束
梁下回との相関
島皮質との相関
 人々の正義観について、社会心理学者J.ハイト等によるモラルファンデーションの研究では、倫理観を基礎付ける5つの道徳感情(モラルファンデーション)が提案されている(*)。
 これらの根源的道徳感情は、人類の進化適応の中で獲得されたものであり、個々人については、遺伝あるいは個人の成長環境によって、その感情の強弱が形成される。
 この道徳感情のうち始めの2つは、個人が価値観の中心におかれ「A.個人の尊厳」という規範としてまとめられる。後の3つは、社会が価値観の中心に置かれ「B.義務などへの拘束」という規範としてまとめられる。
 そして、この2つの規範の強さは、脳の形態(部位の大きさ)と対応しており、前者については、背内側前頭前野との相関及び楔前部との逆相関があり、後者については、梁下回との相関及び島皮質との相関が見出されているということである。
 (*)この項は、金井良太著『脳に刻まれたモラルの起源 人はなぜ善を求めるのか』岩波科学ライブラリー209 2013年を参照


A.個人の尊厳
弱い強い
B.義務など
への拘束
弱いリバタリアン
功利主義
リベラリスト
義務論
強い保守
(宗教的左派)
 モラルファンデーションの各項目についての判断の組み合わせによって、政治的立場は、右図のように分かれるとされている。
 取り敢えずここでは、理念的な義務論にこだわるリベラリストの立場と、現実社会の人々の徳についての思いを基礎に考える保守の立場とを対比して考えていく。
 これは、J.ロールズの『正義論』に端を発したリベラル・コミュニタリアン論争で対峙した議論にも対応するものであろう。

A保守の発想・・・義務の拘束こそ大切

 保守の発想は、義務などへの拘束を強く考え個人の尊厳についてはある程度抑制せざを得ないとする。
 各個人は家族の相互扶助によって生きていくことが求められる。また、地域・国を守ることは各人の義務とされる。
 ただし、保守の発想では、組織・社会の中で個々人を埋没させ、他者に判断を委ね責任ある生き方を放棄しがちである。企業にあっては、社会的責任を忘れ、不正に至りがちである。また、国の中では全体主義に向かいがちである。こうして民主主義から乖離していく。

Bリベラリストの発想・・・個人の尊厳こそ大切

 リベラリストは、個人の尊厳を強く主張し、義務などへの拘束は拒みがちである。
 具体的な倫理として としては、J.ロールズの正義論(さらにはI.カントの定言命法)に準拠し、自分が何者か分からない無知のヴェールの後での判断を考えることとなる。
 ちなみに、温暖化ガスの一人当たり排出許容量という考え方があるとすると、70億を超える世界の人々一人ひとりに差はつけようがない。このため高額所得者が、それなりの消費生活をし大量の温暖化ガスを排出することは、殆ど非倫理的な生活となる。そして、こうした倫理観に誠実に生きようとすれば一定以上の所得は意味がないこととなる。ただし、この問題は、保守の立場であっても判断は難しいであろう。
 リベラルな発想の下では、人々はそれぞれの意見を主張し、なかなか物事が決めれなくなる。
 また、社会として整合性のある判断はリベラルでも避けれないのであって、一人ひとりが社会全体のことを考えそのあり方で自らを律することが必要であり、この意味で、リベラルが社会を考えると、宗教的左派に近づいていくのではなかろうか。

C地方としての対応

 「地方自治は民主主義の学校である」は、J.ブライスの言葉である。地方政治は、民主主義の原点であり、地域なりに議論を興すことが求められよう。J.ハーバーマスの熟議である。
 特に、中央集権的に決定される各種施策事業は、地域にとって不都合なことも多いが、どう受け取るか地域なりに議論し判断することが必要であろう。また、土地利用、都市計画など個々人の目先の損得を超えて判断すべき事項のより好ましい方向づけも広く議論して好ましい計画を実現していく必要がある。
 例えば、人口減少は避けらないが、人口はそれほどは減少しないと強弁して対応していくことはかなり危うい。久しく基盤施設整備の方向転換が求められているが、国家財政、地域財政を含めかなり厳しい状況に陥っている。


6.まとめ 支え合う方向へ


社会既存組織の結合に主眼組織を超えた繋がりに主眼
経済成長に主眼成果の配分に主眼
政治保守的発想リベラルな発想
 政治、経済、社会各側面での基本的考え方を整理して示すと表のようになろう。
 各人の立場は明確に区分できるものではないが、どのあたりに位置するかは表明することができよう。
 ちなみに、筆者自身は、表中B列にある方向に向きたいと考えており、『富山を考えるヒント』での個々の記述もこの方向に沿っている。

 共生する社会を実現していくためには、従前の組織を超えた橋渡し型のソーシャルキャピタルを積み重ねていく必要があり、この第一歩として、各人が普段の生活を多少は社会に開かれたものとしていくことが大事であろう。

 貧困層を発生させず生活の糧を確保していくためには、まず地域にそれなりの経済活動が必要であり、相互に繋がり合った産業群が形成されていくことを地域の企業に期待したい。同時に地域の企業家には、働く人の顔が見える事業展開が可能であり、働く者の尊厳を守るれることを期待したい。

 社会正義については、各人の判断に差異があるが、各人が自ら考え判断することが必要であり、それなりの熟議が求められる。このため、各人なりの発信が必要であろう。全体主義を避け、民主主義を維持することについては、リベラルな発想が期待される。




 東北関東大地震による災害での避難・救助・復旧活動の中で、日本人の支え合う意識が再認識されたようだが、現時点では忘れられつつあるようでもある。
 こうしたことを無理やり日本的特性などとは主張せず、これまでの哲学的文脈(論理展開)のなかで、支え合うことの意味を再検討していくことが大切であろう。
 ここで述べた、利己と利他の軸は、徳(部分的に功利主義も含む)と義務論の軸に重なる。これに対して、「いかに対応するか」を主眼としたC.ギリガンの『もうひとつの声』にあるケアの倫理(ethic of care)をもっと強く意識した経済社会の捉え方もあり得るだろう。

 このように新たな経済社会制度を模索していくこと自体が、長期的には、人類を含めた自然史・生物史の経過そのものであろう。

 取り敢えずの生き方の指針として「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない。(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)  私立探偵フィリップ・マーロウの言葉、レイモンド・チャンドラー『プレイバック』より」


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(May.31,2016Rev./Mar.20,2011Orig.)