参考 地域創りの意思決定 第5節 共通認識の形成 ―熟議― 第2項 公共を論じる 1.熟議の提唱市民が公共の場において議論することの重要性は、古くはアリストテレスが論じている。ルソーの直接民主主義も市民による議論を主張している。1960年代後半には、代表民主主義の空洞化から政治への不満が講じ、参加民主主義の気運が高まった。 さらに1990年代以降、新自由主義の下での福祉国家の危機に対して統治能力の危機が認識され、市民による議論が求められた。ユルゲン・ハーバーマスは熟議民主主義の概念を再興し、公共圏での熟議を提唱した。 当面の社会の舵取りとしては、見識ある市民が、「公共」について真摯に考え、熟議していく場を整え、さらに世論を牽引していく手段を仕掛けていくことが求められていよう。民主主義社会の中では、一見、嫌われそうな過程だが、新たな舵取りのためにその作法を見極めていく必要があることは間違いない。「公共」という言葉は、日本では、一般には、公共領域と私的領域という区分から、行政の諸活動の場を指す。このため、花田達朗は、これを区別して、市民に議論の場を「公共圏」と呼んでいる。 ちなみに、公共のフォーマルな議論の場としては、議会、政府(官僚組織)、裁判などがある。また市民の言論空間については、マスコミの役割が期待されるが、総合情報産業化したマスコミにとって、ジャーナリズムの発揮は困難になってきている。公共圏での熟議は、これに対抗するものとしてインフォーマルな場での議論であるが、フォーマルな場に影響を及ぼすことが期待されている。 議論の在り方としては、他者の意見に耳を傾けながら自らの立場を修正しようとする理性的態度が期待される。また、思い込み、強い党派性、感情的高まりを避けることなどが求められる。特定の人を排除しない配慮も必要である。さらに、本当に意味のある議論をするには少人数で何日も掛ける必要があるとされ、熟議は、実際にはかなり難しい所作である。 新たな公共圏の形成の場として、インターネットへの期待がある。インターネットではネガティブな面が強調されがちであるが、意識ある者で場を立ち上げれば可能性もあろう。我々がその可能性に賭け、インターネット上で見識ある市民として振舞うか否かに成否がかかっているのではなかろうか。 (Jun.4,2021) |