参考 地域創りの意思決定 第3節 社会組織 第2項 生活領域の取り戻しかつて近代化以前の社会では、都市地域を除けば、生活の殆どはそれぞれの村の範囲内で、家族・地域社会が助け合い自給自足で行われていた。 近代化以降、次第に市場経済が入り込み、雇用されて働き、給与を得、商品を購入し、消費するという生活が一般的になっていった。さらに、様々な社会の課題を解決するため、政府が多様な役割を担い、我々の生活を支えるようになってきた。そして、従来、家族・地域社会が担っていた機能は、市場・政府に委ねるようになり、かえって自らの発想による主体的生活を失っていった。 こうした中で、自らを取り戻すために、主体的に議論することが必要で、その場が必要であるとしたのは、J.ハバーマスであり、公共圏での熟議を提唱している。民主主義の機能不全が言われる今日、大切な視点であろう。ただし、しかるべき議論がなされるか疑問があるとしてN.ルーマンと論争がなされている。 また、市場・政府が導いていくところは、必ずしも我々の思うところでないにも拘わらず、次第に巻き取られていってしまうと注意を促したのは、H.アーレントである。こうした課題は、現代社会に生きる者に取って、日々考えていくべき不可欠な主題であるが、ここでは、ひとまず置いておく。 現代社会の具体的な課題としては、先進国での経済成長が続かなくなり、市場経済の下では配分の課題が解決できず、様々な格差が生じ、暮らし難さが顕在化してきたことであろう。自由主義経済を標榜する政府の下では、様々な格差是正策が十分には機能せず、多様な課題が顕在化している。 こうした中で、市場・政府には、委ね切れないものがあるとして、家族・地域社会の在り方が議論され、コミュニティ、ボランティアといった言葉が飛び交っている。 ただし、市場・政府が担わない機能を再び家族・地域社会が安易に引き受けることにも課題があろう。J.ハバーマスの言う公共圏での熟議を展開し、政府の在り方の変更を促していくことがまず大切であろう。 これを前提とした上で、家族・地域社会の繋がりの中で、改めて多様な機能を形成していくことは、否定する必要はない。
ソーシャルキャピタルを論じたR.パットナムの分類に沿えば、これまで富山県では、結合型がしっかりしているが、橋渡し型が弱いと捉えていたのだが、認識を改める必要があるのかもしれない。結合型もかなり崩れているようである。 (Feb.11,2016Rev.) |