2.大転換の時代

 資本主義市場経済社会の終焉を唱える人が増えてきているようだ。小生にはこうした課題を論じる力は十分にないが、多くの兆候を指摘することができる。
 グローバル経済の中でのフロンティアの消失、際限なく開発生産されてきた消費財の新たな需要の縮小などから資本が利潤を上げることが困難となり、超低金利時代が世界に広まりつつある。さらに、中国・インドを含む多くの発展途上国の離陸の中で、国際的な格差をテコとした利潤機会が縮小し、先進国資本は利潤機会として国内的格差を形成しつつあり、結果としてこれまでの総中流社会が崩壊しつつある。
 一方、地球的な環境・資源エネルギーの限界などからも世界がこれまでのような経済成長を続けれないことは明らかであろう。このような指摘は、例えばローマクラブのレポート『成長の限界』(1972)などでも指摘されてきたことであり、また、オイルショック(1973)や地球温暖化進行の指摘(1988)などで実態としても現れてきている。さらに昨今では、多様な自然災害の増加が指摘されている。
 資本主義市場経済社会の終焉がどのような時期にどのような形で進んでいくかは明らかではないし、また新たな経済社会のありようも見えていない。しかし、新たな経済社会への移行ができるだけ混乱なく進むよう、可能な手段を講じていくことは欠かせない。
 現在の日本では、まだまだこれまでの路線を突き進もうとあがいているが、極めて危うい状況にあると思われる。端的に言えば、仕事を分け合い、所得を分け合う新たな仕組みを形成していく必要があると思われるが、こうした発想に欠けている。
 このような日本の中にあって、新たな地域社会をどう創っていくか。中央集権的な経済社会制度の中で限界も多いのだが、人々が創造的に活動しかつ支え合って生きていく社会は、地域に根差した活動の中にこそ可能性があるのではなかろうか。
 こうした可能性について、小生なりに指摘してみたい。


次頁
表紙


 「大転換」とは、K.ポランニーの1944年の著作の表題である。市場経済の世界規模の拡大から保護主義などにより自己調節機能が阻害され、政治的干渉が行われ、最終的には市場社会が1920年代に崩壊へと至った。その後のファシズム、社会主義、ニュー・ディールについては、市場経済から社会を防衛するための活動で、複合社会が到来することとなったとしている。ここでいう市場経済とは、自己調整的市場観を持つものであり、交易−市場という19世紀に本格的に成立した特異な制度であると指摘し、人類の歴史上の大半は(1)互恵−対称性、(2)再分配−中心性、(3)家政−自給自足という三つの経済原理−制度的パ ターンから成っていたとしている。
 このような内容は、今日のグローバル経済化の中での資本主義市場経済の限界と類似した状況があり、さらに今後の在り方として互恵、再分配は重要なヒントであろう。

 今日の大転換として定常社会を論じている例としては、
 広井良典が『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』(2011年ちくま新書)などで、狩猟・採集社会及び農耕社会での定常化と対比して産業化(工業化)社会での定常化を論じている。
 また、水野和夫が『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014年集英社新書)などで、F.ブローデルの「長い16世紀」と対比して「長い21世紀」を論じている。

(Apr.04,2014)