温暖化ガス排出ゼロ宣言
―持続可能な生き方―

 地域として温暖化ガス排出ゼロを宣言する。
 この実現のため、現在の我々の生き方、産業活動を総点検し、必要な方向転換を図っていく。

 「未来の歴史家たちは、2017年の人類が『大破局』を予見したのに、これを阻止するための地球規模の革命を起こさなかったのはなぜか、と疑問を抱くに違いない(ジャック・アタリ『2030年ジャック・アタリの未来予測―不確実な世の中をサバイブせよ!』プレジデント社2017)という指摘がある。実際我々は、地球温暖化、資本主義の限界、貧富の格差の拡大等々多様な解決すべき課題に直面している。特に地球温暖化については、生物の絶滅をもたらす可能性があり喫緊の課題である。

 ローマクラブの「成長の限界」が報告されたのは1972年であった。我が国では、高度経済成長が続いており、内容は理解できるが、科学技術により突破していけるであろうと捉えられた。また、当時の大多数の人の心理状態として、成長拡大のない経済社会をイメージすること自体が困難であった。
 その後、地球温暖化の進行が警告されたのは、1980年代末である。その判断は科学的には勇み足気味であったともされるが、事態は間違いなく進んでいる。1992年にはリオデジャネイロで地球環境会議(環境と開発に関する国際連合会議;地球サミット)が開催されている。環境と開発をテーマとする首脳レベルでの国際会議である。しかし、日本の首相は国会の都合もあり出席していない。さらに約四半世紀後にはパリ協定に至っているが、我が国の意識変革と対応は遅れ、かなりお粗末な目標を掲げるに留まっている。

 日本世論調査会の調査結果としてパリ協定に期待する者が66%との報道があった。しかし、パリ協定が効果をもたらすためには人類全体で努力する必要がある。そして日本の目標が2013年比26%削減でとんでもなくお粗末な目標であることを鑑みると、パリ協定に期待するという世論の報道は、日本の目標の評価を同時に語らなくてよいのか違和感を感じる。ちなみにEUは1990年比40%減を目標としている。日本の目標に関し、まず削減の基準年として人類が地球温暖化問題を確認した時点としての1990年を取り上げる必要がある。日本では2013年までに1990年比で13%増加させている。26%を1990年比に換算すると16%程度の削減目標として評価される。さらに今後の人口減約8%を勘案すると、人口当たりでは10%以下の削減目標に留まることになる(かなりいい加減な計算ではあるが・・)

 地球温暖化は、人類、地球上の生物にとって、かなりの危機である。仮に、生命の大量絶滅を避けようとするのであれば、我々の生き方の急転換が必要なことは間違いない。例えば、一人ひとりにどの程度の温暖化ガスの排出が許容されるのか、カントあるいはロールズ的な倫理観に立てば、人類一人ひとりに差異を設けることはできないのではなかろうか。それを金で買うことも本質的には正しくないであろう。とすれば、先進諸国での多くの消費活動は不正義となる。ひいてはより多くの所得も不正義につながる。もっとも、多くの人は、「一人当たり排出許容量はどれほどか」という設問自体を認めていないようだ。

 日本独自の事情がいろいろとあるとしても、まず私達は誇りある生き方をしようとしていないことをしっかりと自覚する必要がある。国として誇りある生き方をしなければ、次第に世界の邪魔者と目されるようになるだろう。ちなみにアメリカはパリ協定からの離脱を通告しているが、積極的に対応しようとする州がある。

 我が国では、自治体で排出ゼロ宣言をしている府県市町村がある。そのための確実な道筋は見えないが最大限の努力を図るためには、宣言がそれなりに意味を持つだろう。


 富山県でも誇りある生き方を指向するのであれば、温暖化ガス排出ゼロを宣言するとともに、多様な工夫を重ねていくことが必要である(しかるべき目標の下で、正しく(誇りを持って)生きて行こうとするのであれば当然の帰結である。)



◎日常生活の省エネルギー
 富山県民の生活は、冷暖房そして自動車利用等でエネルギーの消費が多い。このためまず大切なことは、日常生活での省エネルギーの徹底であろう。
 各人の努力は当然として、それを促進するために、富山県独自の炭素税の導入が考えられてもよいだろう。北欧では、人類が地球温暖化の危機に気付いた直後の1990年代の初めからいわゆる炭素税が設けられている。例えば、エネルギー多消費型住宅への課税を固定資産税の引き上げと減免などによって工夫されてもよい。
 また、富山県には優れた住宅建築企業とともにアルミサッシを始めとする多様な建材を生産する企業も多い。住宅の省エネ化を指向して、住宅産業クラスターの形成が目指されてもよいだろう。
 自動車利用の抑制としては、利用しやすい公共交通の整備とともに、自動車の電気等への転換を促すことも必要であろう。この一環として、コンパクトシティ形成を目指すのは的を得ている。

◎自然エネルギーの活用
 次に自然エネルギーの活用も課題である。
 個々の世帯での太陽光発電を促す支援策等を独自に工夫されてもよい。
 また、小水力発電に関し、県内には立地可能環境に恵まれており、この普及に多様な支援策があり得よう。
 さらに、「水と緑の森づくり税」と同様の仕組みで、富山県独自に「自然エネルギー税」を設けることも考えられよう。
 石炭火力等の縮小を促すことも必要である。

◎産業の再考
 まず、上述の自然エネルギーの活用を産業化していくこと、住宅産業の新しい展開などが期待さる。
 大豆の生産、加工を促すことはできないだろうか。富山の農業生産の規模は都道府県の中では小さいが、大豆の生産については、転作作物として、それなりの位置を占めている。これには、耕地の保全の意味もあるし、さらに人造肉としての活用は排出ガス削減に大きく貢献する。また、シンガーの唱える「動物開放論」も支持するものである。この可能性については検証していないが、皆で支援して伸ばす価値があるのではなかろうか。6次産業振興の掛け声があるがいかがであろうか。
 他方、日本全国で産業振興の核として観光産業が取り上げられているが、これは極めて危ういのではなかろうか。スウェーデンのルンド大学のキンバリー・ニコラス氏は、気温の上昇を2度以下に抑えるためには、2050年までに全世界で一人当たりの二酸化炭素の年間排出量を2.1トン以下にしなければならないとして、さらに、ロンドンとニューヨークを往復するだけで、年間上限の4分の3以上となる平均1.6トンの二酸化炭素が排出されてしまうと述べている。そしてヨーロッパでの2018年に異常に暑い夏、深刻な森林火災、グレタ・トゥーンベリの活動で「飛び恥」ムーブメントが起こっている。国際的な観光産業振興を促すことは、温暖化ガス排出削減に逆行するものであろう。


 蛇足であるが、人口減少を容認していくことも、排出削減には大きな効果を持つ。経済活動の縮小の受入れは考えもできないことかもしれないが、一層の拡大でなく分合いに力をいれていくことこそ重要であろう。ただし、経済活動の拡大がない中で分け合うことは極めて難しい。

 以上、温暖化ガス排出削減は、基本的には、我々の生き方を本気になって転換していくか否かの問題であろう。

提案一覧に戻る

(Jan.21,2020)