人類文明のホスピス
このようにして描いた大転換について、皆で熟議し、共通認識を形成し、転換を進めていく。 ただし大転換は極めて困難であり、結局は、人類文明が混乱、終焉していくことを少しでも安らかなものとしていくいわばホスピスへの行動となろう。 こうした中で各人は、自分なりに納得できる生き方を選択し、対応していく他はない。 (1) 転換への取組み 個々人の考え方の違いにより社会の合意を形成していくことには困難が多い。しかし、各人がそれぞれの考えを明確にし、正しく考え正しく行動することを前提として、議論を重ね、共通認識を形成していく努力が必要である。これは社会学者 J.ハーバーマスが提唱した熟議である。 この熟議については、もとより可能性を疑問視する議論もある。しかし、近年は、このような努力の必要性を無視し、議論を蔑ろにする風潮が蔓延しているのではなかろうか。社会ではヘイトスピーチが増え、インターネットの中では偏見が増長され、国会等では言葉が大切にされていない。 これまで述べた各分野での大転換の方向性は、カント流の正義に則れば当然のものと思われる。しかし、J.ハーバーマスの公共圏がルーマンに批判され、J.ロールズの正義論がコミュニタリアンに抵抗され、あるいは柄谷行人のNAMが解散せざるをえなかったように、現実の社会では受け入れられることは極めて難しい。しかし、我こそはと発想する人の本性の下で、転換への合意は難しい。 (2) 人類文明のホスピス 現実には、必要な対応が遅れ、地球温暖化による異常気象は次第に見え始め、人々の格差は国際的にも国内的にも厳しくなり多様な混乱が見え始めている。 今後、多様な争いが勃発し、混乱は一層厳しくなり、人類文明の破滅へと繋がっていくであろう。 このため今、大転換について語ることは、その混乱を幾らかでも安らかなものにしようとする努力する人類文明のホスピスにとどまらざるをえない。 (3) 自分なりの生き方 こうした中で、自分はどう生きて行くのか。 このような考えををそのまま他人に押し付けることはできない。 実際には、自らなりに行動し、それに倣ってもらうことを期待することとなる。 このホスピスのための努力を自分なりに遂行し、努力すべきこと、努力できることはやっているという満足感を得ていく他はない。 (Mar.29,2021) |