U.転換のためのシナリオ
転換を図るには、まずどのような社会を求めるのか宣言し、それを実現させる方策を正しく判断していく必要がある。 求める社会としては、「共愉社会」を考える。 正しい判断としては、根拠のある判断、自らの倫理観(正義観)にかなう判断が求められる。前者については、温暖化の認識、人口減少の直視など多くの課題が挙げられる。また後者については、自らの倫理観を表明し、地球温暖化、格差社会、その他諸課題についての考え方を明確にしておく必要がある。 1.求める社会まず「どう生きたいか宣言すること」から始める必要があろう。我々が存在する背景として、生き続けることを強く志向していることは間違いない。そして生き残るために争ってきた。生物、人類の歴史は争い(生存競争)の歴史であったとも言えよう。 しかし、人類は、協調して生きることに良さを見つけ、そのための仕掛けを創ってきた。世界大戦が終結して約3四半世紀経っているが、人類が争わず協調して平和に生きていくことができるか、新たな階梯に登れるか、これに賭けてみることはできないだろうか。 大上段に構えることはともかくとして、皆で仲良く生きていくことを目指したい。 I.イリイチの用いた言葉に、「コンビィビィアリテイ(共愉)」があるが、共に楽しく生きていくことを目指していきたい。 それなりに楽しく誇りある生き方を目指す、他者と触れ合い他者から認められることは、目的とは言わないが自分なりに納得できるだろう。 2.正しい判断社会の在り方を検討する際には、人々が各自なりに正しく考え、正しく生きることを前提にする必要がある。各自が時と場合によって判断基準を変え整合性のない態度を取るのであれば、共に生きていくことが困難になろう。正しいには2つの意味がある。「道徳的に正しいこと」と「真実に寄り添うこと」である。(英語では前者が"Justice"、後者が"True"、そして2つ重ねたものが"Right"であろうか。) このうち道徳的に正しいことについては、正義論と言われ、いろいろな議論がなされてきている。功利主義、義務論、徳論など、個人によって異なる立場がある。このため、基本的には、各自が自分の道徳的位置付けを明確にし、それに沿うことが大切であろう。 私自身の規範については、基本的には、J.ロールズ的な義務論(リベラリストの立場)である。そして社会全体での共生・整合性に配慮も多少はすべきという意味で若干の宗教的左派指向を持つ。ただし、このような方向性は他から押し付けられるのでなく自ら選択していくことを前提とする。 他方、真実に寄り添うことについては、自らしっかりと考え、何が真実か見極めようと努力することが大切である。少なくとも、他者に判断を委ねるポピュリズムに陥ることは避けたい。「思考しないことが凡庸な悪を生む」は、政治思想家 H.アーレントの言葉である。 我々は、常にあらゆる情報を十分に持ち正しい判断をしている訳ではない。欠落する情報を既存の自分自身の知識・経験から補って、自分なりに物語を創り、理解し判断している。つまりいろいろなレベルで偏見に陥ることが避け難いということである。このことを十分認識し、欠けている情報を自覚し、異なる物語の可能性を念頭に置いておく必要がある。 ちなみに仏陀の八正道は基本的にこの正しさを求めているのであろう。 近年の科学の進展により、宇宙138億年以来の我々の存在がいろいろと見えてきている。これによって超越した物語(呪術的なあるいは宗教的な物語)を敢えて準備しなくてもよくなっており、「正しさ」の話を透明に語ることができるようになってきている。もっとも人生の目的等も事前的には与えられず自分で準備する必要ができており、この意味で生きることが厳しくなっている面もある。 (Mar.17,2021) |